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シオンのブログ

シオンの徒然記

《イザヤ書 53 章》[新共同訳]
1 わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
2 乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように/この人は主の前に育った。見るべき面影はなく/輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
3 彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し/わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
4 彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と。
5 彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
6 わたしたちは羊の群れ/道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて/は彼に負わせられた。
7 苦役を課せられて、かがみ込み/彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように/毛を切る者の前に物を言わない羊のように/彼は口を開かなかった。
8 捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか/わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり/命ある者の地から断たれたことを。
9 彼は不法を働かず/その口に偽りもなかったのに/その墓は神に逆らう者と共にされ/富める者と共に葬られた。
10 病に苦しむこの人を打ち砕こうとは望まれ/彼は自らを償いの献げ物とした。彼は、子孫が末永く続くのを見る。の望まれることは/彼の手によって成し遂げられる。
11 彼は自らの苦しみの実りを見/それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために/彼らの罪を自ら負った。
12 それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし/彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで/罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い/背いた者のために執り成しをしたのは/この人であった。
太字「主」は、文語訳ではエホバとされ、学者の間ではヤハウェとされているヘブライ語「יהוה」。



メル・ギブソン 監督
パッション』( 原題:The Passion of the Christ )より

The Passion of the Christ - Worthy is the Lamb - Hillsong

https://youtu.be/RUp15UfxCUw


イザヤははっきりと、来たるべきメシアについて預言していました。イザヤ53章の2節でそれが明確にされています。この人物は「彼はの前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。」と書いてあります。この枝はメシアの事です。実際、この言い回しはイザヤや他の預言書に書かれているメシア預言でよく使われている言い回しなのです。ダビデの家系はさばきの結果枯れ木のように切り取られる事になっていましたが、イスラエルには新しい枝がその切り株から出てくるという約束があったのです。この枝こそが王なるメシアなのです。
間違いなく、このイザヤ53章の「苦難の僕」はメシアの事です。彼こそが王たちの前に高く挙げられ、王たちの口を閉ざす者です。メシアこそが切り取られてしまったダビデの家系から出てくる新しい枝なのです。彼は王の王となり、贖いを成し遂げられました。

イザヤ53章は来たるべきダビデの家系の王、メシアについて書いてある章として理解されなければなりません。王なるメシアは苦しみをうけ、私たちの罪の代価を払って死に、復活するという約束がありました。また、メシアは贖いの血をもって信じる人たちすべてを浄め、自身の役目を果たすと約束されていました。これらの預言を成就した方はただ一人、イエス・キリストしかいません。
イエスを主と告白する人たちは神の子供となり、約束の子孫となるのです。ユダヤ人の使徒たちの証によれば、イエスは私たちの罪のために死なれ、復活され、天に昇り、神の右に座しておられ、私たちの罪を浄めて下さる大祭司の役目をしておられます(ヘブル2:17; 8:1)。ユダヤ人のメシア、イエスこそがイザヤが預言した方なのです。


横手やすらぎ教会のメッセージ
「キリストの姿」イザヤ53章1~12節
http://www.yasuragi-church.org/archives/487
もご覧ください。