本投稿は、下記投稿に寄せられたコメントに対する回答を目的とするものです。
2015年11月13日投稿の[万物の起源]
2015年11月27日投稿の[見えないものに目を留める]
-大乗ブログ ひとのこ先生の教え-
【質問】
真理について、大変攻撃的だと感じる質問や意見がメールで送られてくることがあります。
【ひとのこ回答】
問われれば、答えるより仕方がない。
その問答が、論争と成ってきた時、相手の目的は自分の欲求を満足させる為に行われている事になる。
それに乗って論争すると、今度はこちらも欲求を晴らすための行為と成る。
だからね、論争に乗っては成りません。一番良い方法はね。
この様な人はわたしは正しいことを行っていると思い込んでいる場合が多いのです。
だから論争に乗らずに、
貴方は何をしているのか?
または
何をしたいのか?
と聞くことです。
何か答えたら、それに対してそれは如何して?
と何処までも問い続けると
最後には、エゴに到着します。
最後には理由が無くなるのです。
エゴの特徴とは意味のないことを行う事だからたどると理由が無いところに到着するのです。
わたしの行為は欲求を晴らす為の行為だと上手く気づかせて上げれたら、その瞬間にしつこい論争を止めます。
正しいことを行っているつもりが、真実は自分の為であったと気づかせてあげる事ができればお役に立てたと言うものです。
教えより大きなことを教えてあげたことと成る。
それが道です。
自分の行為を正して行くことそれが道です。
相手の感情を逆撫でしないように上手く出来るように常に学んでください。
意味のない論争とはエゴにより行われるものです。
そうやってエゴを学びなさい、○○さん。
相手もまた○○さんです。○○さんが、互いに学んでいるのです。
論争を仕掛けてくる人もまた論争で学びに来ているのです。
意見が一致するだけが学びではないのです。
○○さんがてこずる相手ほど、深い学びが得られる。
苦労を嫌ったら進歩がない。
だからうれし、うれしと成りなさい。
苦労もうれしうれし、苦もうれしうれし
苦労も苦も喜びとしなさい。
何からでも学ぶことでうれしいが成立する。
どんなに正しいことを言っていたとしても、論争の情熱とは、無明から現れている。
だから、言っていることがどちらが正しいかを追求するより、
何故それをするのかの根源を知らせるほうが簡単なのです。
どんなに正しいことを語っても論争はその根源において間違っているのです。
それを上手く理解させてあげることです。
自らの行為を振り返り反省し生かして行くことが道だから、
それを伝える事が出来たら道を伝えた事と成るのです。
教えとは道にならねば意味はないね。
だから教えよりすばらしいことを伝えた事と成るのです。
どちらの見解が正しいかより、何故それをするのかのほうが問題なのです。
わたしの問答とは常にそこに気づいてもらう物なのです。
行為の根源に隠れるエゴに気づいてもらうそれが問答です。
わたしの教えとは、正に日常の行為の影に隠れるエゴに気づいてもらうでしょう。
それに気づいてもらったら、次はエゴとは何ですか?
と言う話になり、エゴを消滅させるのです。
その人は[誇りのために]思い上がっているのであり,何も理解しておらず,疑問をはさむことや言葉をめぐる論争で精神的に病んでいるのです。そうした事から,そねみ,闘争,ののしりのことば,悪意のうたぐりが起こり[ます]。さらに,愚かで無知な質問を退けなさい。それが争いを生むことをあなたは知っています。-テモテ一 6:4;2:23
しかし,愚かな質問や系図や闘争,また律法をめぐる争いからは遠ざかっていなさい。これらは無益であり,無駄なことなのです。-テトス 3:9
「創造をめぐる論争を避けるためには,宇宙のすべての物質は無限に古いということにせざるを得ないが,そのような事はあり得ない。……水素は徐々にヘリウムに,また他の元素に変換されてゆく。……では,一体なぜ宇宙はほとんどすべて水素で成り立っているのか。物質が無限に古いのであれば,このようなことは全く起き得ない。それで,宇宙の今日ある姿からすると,創造をめぐる論争をただ避けては通れない」