古代の日本では、土地は大王や豪族の私有地で、そこに住む人たちは私有民だった
土地を開墾して増やせば、私有地は増え人口も増える。土地は富を生み、兵の数は私有民の数に比例する
そうして大王を凌ぐようになったのが蘇我氏
こうした状況に危機感を持ったのが大王の一族である中大兄皇子だ。
彼は仲間を集めて蘇我氏の打倒を計画する 仲間には中臣鎌足、そして妻の父である蘇我一族の蘇我倉山田石川麻呂
そして645年、宮中で蘇我入鹿を血祭りにあげ、その父蝦夷との戦いに向かうが、蝦夷は戦わずに邸宅に火をかけ自害した
この後、中大兄皇子による政治改革・大化の改新が行われる
その改革の中で土地制度も改められた
私有地は廃止されすべての土地とそこに住む民は朝廷(公)のものとされた
これが公地公民制
そして6年に一度、戸籍に基づいて、6歳以上の男性には一定の土地が与えられた(女性は男性の2/3)
6年後に公に戻され、再び戸籍に戻づいて与えられる
これの仕組みが班田収授
しかし、与えられた土地には日当たりや水はけの良い土地と悪い土地がある
良い土地を与えられたらラッキー、しかし悪い土地を与えられたら嘆くしかない
土地を肥やそうとか水はけを良くしようなんて思わない。
なぜならそんな努力をしても6年後は見直され、死んだらそれまでなのでモチベーションは上がらない
さらに人口が増えると与える土地も不足し、税も重いし生活も苦しい
それで土地を捨てて逃げる者が増える 朝廷に入る税も減っていく
こうして公地公民制は崩壊していった
ただし、最近では公地公民制はなかったという説も出ている
つづく