今日、タレントの山本華世さんとお話しする機会があり、いつもに増してフツフツと滾るものを感じましたので、紹介させて頂きます。


今の若者(昭和60年以降生まれを指されてだと推測します)の情熱に蓋をしているのは、我々世代ではないか?という話です。


九州密着型の本当に九州愛の強い方で、長いタレント活動を経て、何が失礼な行為なのか?何がやってダメな事なのか?何を伝えなければならないのか?大変悩まれた時期もあったそうです。

多くの激励や賞賛の裏では立ち直れなくなるような、心を折る様なクレームも少なからずお受けになったとの事。時代が寛容ではなくなったと痛感したそうです。そして、本当に伝えたい事、言いたい事が自由に表現出来なくなったと…


しかし、ご自身のあるドキュメント番組放送を機に、心無いクレームに負けない本当の役目に目覚め、揺らぐ事のない枢軸を築かれました。


昔は挨拶などの発声を促す標語なんてありませんでした。翻って今、何故にこうも言葉にする事を標語で掲げるのか?


彼女の見解はこうです。


今の若者は想いを言葉にするのにも勇気が要るのです。


!!


つまり、言えない世の中にしてしまったのではないか?と…


!!


失敗しないように大事に大事に育てたはずが、転び方も起き上がり方も分からない、転ぶ事は悪、失敗は悪、競うのも悪、夢をみるのも無駄、な世代と時代を築いてしまったんじゃないか?


情熱が無くなったのではなく、情熱に蓋をされてるだけなんだ。


なれば、自身のやるべき事はこうだ!


と…    あつくあつく語ってくれました。




考えさせられました。


仰る通りに思います。



あーコレやりたいな、こうしたいなー、でも失敗するだろうな。怒られるだろうな。損するだろうな。


我欲で人様に迷惑をかけるのは良くないです。


が、ですよ、大なり小なり他人に迷惑かけなきゃ生きていけないのも人です。


「お互い様」


互助や敬いの心まで無くしちゃ駄目でしょ。


少し前、小室哲哉さんが引退されるときの事。


多勢でこれでもかって責める…


一つの才能をその世界から消し去る程の、人生まで否定される程の悪事か?と僕は思ってました。

(異論、反論あるかもしれませんが)




和とは、異なる事物を調和融合させる事。


古来日本(倭の国)はtakeせずともgiveによって成り立つ国を目指していたはず。国際間の競争が熾烈になっているからこそ、日本の価値はそこにあるのではないか…

美しい国とは、何も景観に限った話ではないはずです。


今一度、本当に大切な事は何か?何をもって美しさとするか?超我の心を問われた日でした。


長文失礼しました。また、個人名を掲げさせて頂きましたが、問題ありましたらご連絡下さい。

早急に対応致しますm(_ _)m