有岡城の城主 荒木村重が、千利休と交流があり、茶道に造詣が深く、伊丹には多くの文人墨客が集い、独自の文化をはぐくんできました。

古書みつづみ書房は、まさに現在の「文人墨客」の集う場所。

トークイベント 江戸時代の数学「和算」を知る が開催されました。

文人墨客とは、「優雅で趣のある芸術を創作する人」のことでありますが、数学だって美しいので芸術です。

語り手は 4月から大学生になるAさん。

 

 

日本の数学 「和算」。

学校教育では、「関孝和、建部賢弘の名前を聞いたことあるかなあ」程度ですかね。

実は和算は、西洋数学が導入される前に、すでに円周率を小数第11位まで計算、ベルヌーイ数を発見、など極めて高いレベルに達していたのです。

 

「和算がどのように発展し、広がり、消えたのか」

江戸時代には、武士から庶民まで娯楽感覚で数学を楽しんでいたそうで、数字遊びの本もあったようです。

当時の方が数学が、身近な存在だったということですよね。

う~ん、いつからこんな数学嫌いの子が、人が増えてしまったのでしょう。

神社仏閣に和算の問題や、解法を記した「算額」を奉納し、「算額」の誤りをまた他の「算額」で指摘したり、また新たな解法を示したりしていたのは さしずめ現代で言えばSNS,youtubeといったところでしょうか(笑)

算額はご近所の猪名野神社にも奉納されています。

和算の教科書 『塵劫記』が出版され、解答がない問題「遺題」が収録された『新篇塵劫記』でインチキ教師が淘汰されていき、さらに解答して難問を収録した「遺題継承」の形の本が出版され、大いに数学が発達することとなります。

天才数学者 関孝和 率いる関流 vs 最上流 会田安明の仁義なき戦い 今でいう「炎上」は非常に興味深かったです。

和算を学校で教えてくれなくてざんねーんと言いつつ、彼らが相手の訂正、批判の繰り返しで出版しまくった著作名、

入試に出なくてよかったです(笑)  

こんなに素敵な和算も明治政府の意向により、西洋数学に転換されることとなります。

でも、すんなり導入されたのは、しっかり素地ができていたからなんですね。

 

「しくじり先生」(いや、別にAさんはしくじってはいないんだけども。聴かせる力や構成がそんな感じってことです)のように楽しい和算の講義が終わった後は、手作りの算木を使った計算や、点竄術(筆算で高次方程式を公式的に解く方法)の実践タイム~

衛星放送や、ネット授業も広まってきていますが、やっぱりこういうお話はライブ感を味わいたい。

Aさんは和算の原書、古文書を読み解きたい一心で、古文漢文の学習にもいそしまれたそうですよ。

もちろん、歴史の勉強のモチベーションにもなるし、これが、勉強の本来の姿だと思うんですよね。

 



人の自己顕示欲、出る杭は打たれる風潮、天才の定期的な出現

政府の意向は、本当の意味で勉強好きな子を生み出すのかという疑問

今も昔も世間も人間もそんなに変わらないですね(笑)

わからないから解明したくなる、わからないことがまだあるという神秘性と、美しさで人々を魅了してやまない数学も

今も昔も命があるようですね。

 

Aさんは実に多くの和算に関する蔵書を持ってこられていましたが、私の気になったのはこちら。

和算の館 のサイトもオススメだそう。

 

 

 

 

終了時間後も、興奮冷めやらず、皆さんお名残り惜しく、「来てよかった」「すばらしかった」という感想。

フレッシュな先生を招聘してきた みつづみさんの先見の明と柔軟性もすばらしいですね。

みつづみさん自身、お店で千利休の月命日毎月28日は「書房月釜」と称しまして、お抹茶を飲みながら、テーマに沿った本について語り合う会を開催されていますよ。

 

今日のこぐまちゃんはおとうさんとおでかけ。
数式があるのがシンクロしてます、というオチ(笑)

 

 

古書みつづみ書房

こぐまちゃんと訪問