一昨日、友人の幼なじみ親子のことを書いたばかり。
発達が多少ゆっくりかもしれない子どもさんのことを、周囲の幼稚園ママたちから非難されて、そのお母さんが精神的にまいっていて、私のところに話がきたという・・・。
今日、昼間、家業のお遣いを義父に頼まれ出かけたら、長男と同じクラスのお母さんにバッタリ。
保育園にしては珍しく、年中さんからの入園だったので、参観日に初めてお顔を知った程度で、「こんにちは」って言ったのも今日が初めてでした。
何と何と、そのお母さんの知り合いで、周囲のママたちから子どもさんのことをひどく言われて、年度の途中で幼稚園やめて、翌春から保育園に通い始めた人がいるのだとか。
私が、大学院で学びたいのは「教育社会学」。子どもたちにとってどのような社会が望ましいのか、社会性、道徳、マナーが極端に欠落した親たちが子どもを巻き込んで起こすトラブルにどのように対処し、防いでゆけばよいのか、公的な制度・補助金はどのように改善されるべきか、真剣に学ぼう、考えようとしている矢先に、どんどん目の前に問題が起こってきます。
ただ、今日話したお母さんは、
「今の保育園、担任の先生もクラスのお友達もお母さんも経営陣も他クラスの先生も、
みんなみんなあたたかくて、我が子も保育園が楽しそうなので、救われたみたい」
と話してくださいました。
「追い詰められたときに、社会にどのように手を差し伸べてほしかったか」、後からでも話せると良いのでしょうが。
今、とりあえず平穏だから・・・という状況に過信せず、社会全体として、子どもたちの将来を見据えながら、活動していきたいと強く思いました。
自分さえ、我が子さえ、今さえよければいい というレベルで大人たち(親たち)が行動するから、このようなトラブルが絶えないのだと私は考えます。
県の高等学校の採用試験に合格した私でしたが、最初にいろいろな校種を経験させるという教育委員会の方針で、縁あって卒業してすぐは重度の養護学校(現 特別支援学校)の教諭になりました。
初めて学校にご挨拶に伺った折の、教頭先生の言葉は、多分一生忘れないと思います。
「現在、県立学校の生徒1人当たりの予算は普通科高校で約60万円、実業高校で約100万円です。本校の児童生徒は、1500万円です。その意味をあなたなりによく考えて、勤務してください」
この話を聞いたのはもう15年近く前の話になりますし、現在私は教職を離れていますが、社会の在り方を考えさせられる、実に深いテーマなのか、今でもよく思い出します。
10年ほど前、ロシアを旅行した際、車にはねられたと思われる女性が幹線道路に倒れているのをバスの車窓から見ました。数時間経って同じ場所を通っても、その女性はそのまま道路に横たわっていました。
ちょっと日本ではありえない状況でしょう。
社会の中で自分は、守られているということを実感しました。
そして、普段は何気なく過ごしても、「いざ!」という時に甘えられる社会の必要性を痛感しました。
弱い立場にある人を追いやることは、ある意味簡単かもしれません。
でも、「どんな状況にあっても、どんな人でも、人として尊ばれる社会にしたい!」
と一人ひとりが理想を描くことが、決してきれいごとではなく、現実的に心地よい社会をつくってゆく王道なのだと私は思っています。
誤解を恐れずに書くとすれば、保育園ママたちの社会は、実に心地よいです。
それは、単に自分が所属しているというひいき目もあるでしょうが、
やはり、社会的な立場を持ち、自己実現を目指しているママたちの集まりだからだと思うのです。
我が子や夫、義父母、実父母、仕事関係の人たちに感謝しながら、子育てと家事と仕事に励む日々。
だから、ぶっちゃけ、他の親子をいじめている暇はないので。。。
それにしても、
社会全体にとって、子どもたちにとって、どのようなシステムが望ましいのでしょうか。
「それを考えるのが私のつとめなのかもしれない」と最近思っています。