*以下は、10月中にtweetした内容を本ブログに、ほぼ原文のまま転載したものです。
 
愛野可奈 さんのSORUAを 視聴し直した。
当然のごとく 細かい掘り下げまでは全く手が回らないので概略だけの分析に成るし、あくまでも一人の可奈リストから見た印象に過ぎないが、宣伝活動はファンたる者の大事な務めでもあるので、現時点での暫定的な解釈/解説を以下に試みてみたい。
 
まず第一印象として強かったのは、愛野可奈さんの記念すべき第一作目であるDark Fairyを踏まえつつ、僅かな希望しか残らなかったDFの終末に 後日談が加わることで、絶望を乗り越えた末の ささやかな日常の幸せが描写されたことに大きな救いを感じた。
同時に、完全な孤立無援と成ってしまった Dark Fairyでのエインセルとは異なり、SORUAに於いては、ノエルを心理面で激励しかつ現実的な窮地を救ってくれるシャウラという 友人でもありつつ、かつ精神面での指導者のような存在に恵まれたことも、僕(ら)視聴者への救いである。
 
また、愛野可奈さんの第二作であるScientist and Witch で描かれた「大多数の人の日常生活に埋もれて見向きもされない 搾取/差別される少数者の苦しみ」のような問題提起/啓蒙に対する一筋の光明として、「社会的名誉や経済的成功に依存しない 個人間相互の信頼と尊厳」を訴えたようにも思う。
そうした相互尊重と その前提を成す自己肯定感のシンボルとしてペテルギウス および恐らくはシャウラが存在していて、これらを少なくとも物語の途中までは獲得するに至っておらず 自己否定に走りがちだったのがノエルとスピカ 、他者攻撃に走りがちだったのがドナルドたちであろう。
 
途中の経緯は ともかくとして、「社会常識という名の かくあるべし」に縛られて 自分の感情を押し殺し、その結果として自分の心が求めるスピカを深く傷付けてしまったノエルの愚行は、そのものズバリの体験があるわけではないものの、僕自身の半生と重なる部分が極めて大きい。
大赤字だった自己肯定感が大きなプラスへ転じて久しい今の僕にとって、物語中盤までのノエルの言動は、さしずめ 親の立場から子を眺めるような、軽い痛みを伴いつつも 或る意味では懐かしいような感情も伴った、わりと冷静な心情を保ったままで見守ることが出来た。
 
ただ、物語終末部のスピカ、ノエル、シャウラの叫びは、僕自身が現在進行形で立っている状況そのものであり、理性を喪失するほどではないにせよ、あと数時間のみか半世紀かは分からないものの、残された僕の命を いかに全うするか/したいか の覚悟と決意に 少なからず心が燃え上がるものであった。
すなわち、僕自身が旅立つスピカの立場に成るのか、見送るノエルの立場に成るのかはさておき、あと10分後にも 最愛の人(たち)との今生の離別が襲い掛かってくるかも知れない。
それゆえ、厳密に絶え間無く意識し続けていることではあるが、大好きな人たちへの感謝を伝え続けていきたいのだ!
 
そういった熱情を痛烈に再認識させられた時、最も激しく僕の涙腺を刺激したのが3曲目の♪Shooting starである。
何気無い日常こそが かけがえの無い宝物であり、ただ大好きな人のそばに居たい!それだけの純粋な、されど激しく燃え上がる慕情こそが、最高に尊い宝物であることを教えられた。
ともすれば熱血的なノエルとは異なり、はかなくて弱々しいイメージのスピカ。
 
実際、劇中後半ではノエルに邪険に扱われる場面もあるが、「邪険に接さざるを得なかったノエルの脆さ」を見透かし 優しく受け入れた上で、静かに「寂しがり屋な君」と微笑む姿を想像させられ、涙が止まらなくなる。
己の身が朽ち果ててしまっても、愛する人を見守り続けるというスピカの限り無い愛。
僕が可奈リストであり続けたい!と言い続けてきた決意は、まさにこれと同じ。
だからこそ僕の心と涙腺は激しく揺さぶられ、この先もスピカ そして愛野可奈さんを目標に生き続けたい!と改めて強く思う。
 
そして、切なく苦しいようなカタルシスとは異なり、非常に晴れやかで穏やかな気持ちにさせてくれるのが5曲目の♪Under the light。
恐らくは、SORUAの物語が完結した後日談に於ける ノエルからスピカに向けた愛の歌だとは思うが、僕にとっては更に大きくて大事な意味も持っている。
 
特定の物語とリンクしない単独曲として2018年末に発表された♪青い空の下 も、♪SORUAおよび♪Shooting starと似たような情景が描かれているように感じられて仕方無い。
何気無い日常の大切さ。
親密な間柄であるにも関わらず、心をうまく通い合わせられないもどかしさ。
やがて訪れる離別。
とりわけ、気持ちのスレ違いというのは2019年の僕にとって重大な課題であった/る。
自分自身の嬉しさを純粋に表現しているつもりであっても、それが結果として相手の気持ちを傷つけてしまう悲劇が実際に起こってしまうこと。
 
それは決して、どちらかの責任に帰着して済むような安直な話ではない。
それでも、僕の独断的解釈に過ぎないが、♪Under the light を通じて、「別に間違っても良いんだよ」「時に気持ちがスレ違ってしまうコトが有ったとしても、それでも一緒に進んでいこうよ」と #愛野可奈 さんに言ってもらえているような、大いなる救済を感じている。
 
それゆえ なおさら、僕は #可奈リスト として生涯を全うしたい!と心の底から感じているし、7曲目の♪星の賛歌 に込められたペテルギウスの心情同様、僕の力で具体的に何が出来るではないが、僕の死後であっても「愛野可奈さんを知らぬ者など居ない」という時代が現実に訪れて欲しい!と願う。
 
そして、ラストの8曲目♪君のそばに で歌われているように、どんな未来が待っていたとしても、この広い世界で愛野可奈さんと出逢い、可奈リストに成れた奇跡的な幸福は絶対に消えないし、僕にとって この幸せは何よりも最高のものだ!と誰に対しても自信を持って答えられる。
 
ありがとう☆彡