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いじめはいじめられる側にも問題、どう思う? 参加中
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どういう視点、どういう前提・条件で論理展開するかによって違うよね。
本来「いじめられる側にも問題がある」とはどういう"意図"によって作られた言葉なのか、ってこと。
団塊や昭和の人間が言うのは、「いじめられるのはお前が至らないからだ」って意味で使われる。
良いように解釈するとしたら、自分がまだ未熟で迷惑を掛けてしまったとか、働きが悪いからもっと頑張ってほしいからつい熱くなったりイライラさせてしまった、相手の期待に添えなかったから、って意味になる。"昔"はそれでよかったのかもしれない。でも今は違う。
"誰か"の意に沿うようにすれば「他の誰かを蔑ろにしてる」なんて要らぬ批判を受けたり、「自分にこそそれをしてもらう価値がある」なんて傲慢な人間が多いのだから、上記のように他人に対しての期待に全て答えようとしたら命がいくつあっても足りる訳がないのである。
今となっては、つくられた当時の意味での「いじめられる側にも問題がある」という言葉は、もう"古い"のだ。
いじめに限った事ではなく、人間が絡む全ての問題には、双方に何らかの非(もしくは理由になる条件)があったからこそ問題化したのであって、いずれか"片方に問題がなかった(注釈1)"のであれば、コミュニケーションや確認、行動に問題が生じなかった=問題化する事も防げたはずなのだから。しかしながら、いじめというものは起こる。いじめてしまう側にもいじめられてしまう側にも、何がしかの問題があるからだ。
どんなことをしても、人間が不完全である限り、「いじめ」やそれに類似する現象は起こります。だから「いじめをなくそう」なんていう不可能な綺麗事なぞよりも、「起きてしまった時のケア・サポート・フォロー」を大事にするのがいい。って、これは二番煎じ臭いな。
特に子どものいじめというのは、大きく分けて、差別的で悪質なものと、子どもだから気持ちの整理が付かなくて嫉妬や羨みや慣れない感情の処理方法が分からなくて冷たくするとかあたってしまう、いじめてしまうものの二つあると思う。如何に見極めて対処するかが大事。
いじめた子の(ある種の)サポートと、いじめられた子のケア。どっちも必要だよね・・・と言うことは?それってどっちにも何らかの"原因"があったことになるよね・・・?さらに言えば、何かをされる事に理由があるなら、何かをする側に理由がなかったらおかしい。もしそのしている理由が分からず、される側にだけ理由を求めているとしたら筋が通らない、道理に反す、と思うのはボクだけだろうか?
究極的に言えば、いじめ"られた"側が「いじめられた」と認識しなければ、いじめなんて起きないのよ。相手の悪意を、相手がびっくりするような、尊敬してしまうような、恐れおののいてしまうような反応で返せれば、いじめなんて起きなかったかもしれないし、いじめる側が「さっきはちょっと悪いことしちゃったな」とか「自分って嫉妬してるのかなぁ」とか、"気付き"さえあればいじめはエスカレートしていかない訳で。なんて言ったらちょっとご都合かもしれないけどね。
結論:双方に何らかの言い分・理由は必ずある。どちらかが100%悪い、なんてことはない。
注釈1:片方に問題がなかった、と書くと語弊があるが、わかりやすくする為に問題のある・ないで表現しています。実際の所、問題のない(およそ完璧な)人間などいませんし、「問題が起こりうる・起きてしまった」前提で書いているので、必ず何らかの理由・事柄があることになります。