もうかれこれ
音楽を始めてから早いこと8年目になりました。

14歳の時に勉強が嫌いな自分が何か必死に言い訳を探していて
家にあったクソPCでクソみたいな曲を作ったのが一番初めです。

それからというもの、
まさか今自分の仕事になってるなんて
当時の自分から考えれば夢見たいな話ですね。

DJになる!なんて目標が14歳のときにあって
16歳で西麻布でそれが達成されて

有名になるなんて考え始めて

CD出す!なんて目標が16歳ぐらいの時にできて
それが17歳で達成できて

19の時に某メジャーレーベルで
クリエイターなんかやっちゃったもんですから

トントン拍子も良いところ。

超幸運だったわけです。

今は会社設立のために制作と平行してそっちも活動しています。

仕事の中で僕としては適当に仕事としてこなしてきた多くの楽曲が
いろんな動画サイトや着うたサイトなどを通じて
人に聴かれてるんだということを実感します。

僕にとって音楽とは他人と触れ合う手段なのかもしれません。

それこそ僕はオリジナル曲が極端に少ないので
曲に僕の主張するメッセージなどは殆ど含まれていませんが、
僕は"コレがあなたに言いたいメッセージだよ"という音楽の触れ合い方よりは
もっと下手から"実はこれ僕のだったんだよ"ぐらいのもので結構です。

遠慮がちです。

これは昔からの信念の一部なのですが、
音楽でメッセージ性の一方通行をしてしまうと
どうしてもリスナーよりアーティストの方が
目上の立場に自然となると思ってるんです。

だからこそ双方が同じぐらいの目線で居れるのが理想です。

比較的ですが
歌い手はメッセージを一方的に発信しがちだったり
プレイヤーは俺スタイルみたいのを押し付けがちなのを客観的には感じます。

それは彼ら彼女らにとって必ず必要な個性なのかもしれません。

ですが、僕には絶対にできない。

かっこいいかもしれませんが、
そういう類の主張は煙たがられませんか?

ある音楽に触れた時、
その歌手が自分の嫌いな顔なり嫌いな人種(ギャルとかV系とか色々、、)だったら
その時点で音楽は好けないですよね。

人のニオイがしない音楽のほうが
爆発的にウケないかもしれませんが
嫌われはしない。

無に近い、さりげない自分の存在を音楽に込めるぐらいでいいんですよね。


何かに例えて言いましょうか。

他人に抱きついたと想像してください。

まず男性であるか女性であるかで受け入れ方が違いますよね。

異性なら性欲的な面で心地よさを感じるかもしれません。
でも生理的に受け付けない種類の人なら
悲鳴と共に一刻も早く逃げたくなるでしょう?
反対に
好みの種類の人ならずっと抱きついていたくなるでしょう?

これは音楽にも同じことが言えるんです。

受け入れる心を持たれなければ門前払いなんですよ。

だから僕はマネキンみたいな存在を用意するんです。
"そのマネキン作ったの僕だよ"
そんな立ち位置がいいなと思うんです。

マネキンなら生理的に拒否されることはまずないですからね。


主張しすぎず、
穏やかに
穏やかに、、、

それでいいじゃないですか。
楽しく居れればいいんですよ。

自分から故意に目立ったり、
主張しすぎたり、その結果で見えない部分の人に嫌われるよりかは
平穏に世の中に溶け込んでいればいいんですよ。

これが僕の今の生き方そのものなのかもしれません。