今まで目の前のことだけ、一生懸命にやってきたと思ってます。
音楽の求められる形。
何をみんながしたいか。
果たしてそこには小技の利いた実力重視な音楽が必要なのでしょうか。
訴えかけるような、コレが俺だ。みたいな主張が一番でしょうか。
答えはNoでとてもシンプルでいいと思います。
正直今自分の作っている音楽の多くはゴミです。
すごく汚い。
作ってる人間の性格って音楽には鏡のように出るんです。
作ってる人間がお洒落じゃなければいい音楽は作れない。
見せることを知らない人間に魅力のあるものは作れない。
僕がこの1年4ヶ月作ってきた音楽はすごくネガティブで、
腋臭より臭くて、
ぶっちゃけていうと、ありえない。
そりゃあ、求められないし、音楽としての形はものすごく悪いとおもう。
すべての人がピースフルになれる音楽って一番いいし、
すべての人が自分のもののようにその曲を聴いてくれる親しみ易さって大事だと思う。
こういった、感情的な部分に欠けている自分にすごく嫌気を感じてしまって、
作り手としての精神を今一度叩きなおすべきなんじゃないかと思う。

物の価値って原価がどうこうじゃないんだなって思う。
如何に価値を引き出せる物であるかどうか、
つまりは良い物なのか悪いものなのか。

社会の流れはデフレ一直線で
安ければよくて、そこそこ使えればそれでいいと、
そこにはこだわりが無くて、
デフレであるからこそ、得する人はだれもいなくて、
それを取り仕切ってる人間が金を握り締めるだけ。
作ってる人は生産コストの安さに涙し、自分を安売りせざるを得なくて、
粗悪な形だけのものをユーザーは買う。
この最悪の流れは、目の前の金に飢えた、
いや、金に命を売った人間が作った独占欲がいけない気もする。

最近の話題で言えば激安ジーンズ。
1000円を下回ったところで誰が面白いんだ。

自信のある良い物を提供できないのならば、
価値を問われる必要はなくて、
890円だろうがまだ値段は高いと思う。
そもそも物に価値が無いから。

だまされて買う初回の消費者をだまして終わり。
これは流行とは言わないですよ。

話題性で釣った鴨から金を巻き上げただけですよ。

この波に見事にのまれていた自分はカスもいいところで、
罪悪感と劣等感に心を痛めています。

これから僕はこの流れを逆風と捉えて、
音楽という姿無き物に限定されてはしまいますが、
良い物をみんなに。

それでそこにいる人がみんな笑顔ならいいじゃないか。
嬉しい気持ちはお金には変えられないだろう。

人生の未来を正しい方向へ、
間違いだと思っている道は二度と通るつもりはないです。