ボトルワークに付随する部分、なのかな。
いま91番を使いながら、一緒に使っているのがゴールドのポマンダー。

ゴールドは初めて使ったのだけど、華やかでイキイキとした感じ。
なんというか「自分と向き合う」という生真面目さよりは
"ええじゃないか"的というか"いったれ!"というか、
なんだろな~、お祭り的というか気風のよさみたいなモンを感じる。

まぁ、それって、思考でコチョコチョ頭が忙しい状態を超えて
直感と繋がるというか、ある意味腹が据わってくる感じなのかな。
だから包容力もある。許してくれる、って感じかな。

カウンセリングの時も「ええじゃないか」を感じてみてって言われてたっけ。


最近、顕著なニガテが減ってきてる件について。
91番ももちろん関係してるだろうけど、ポマンダーも大きな役割を
果たしている気がしています。

そういえば日常でも「いいんじゃな~い♪」と実際に口にしてる事が多いや(笑)
以前だったら、追及したようなことも「ま、いっか^^」と流せちゃってる。
それもどっかで我慢してるでもなく、割にサラッとw
例えば、以前の仕事だと、まぁ職歴も長くこだわりも強かったし
なにより性格がキツイので「はぁ?」と思うと「これってどゆこと~?」と
まっすぐ切り込むってことが多かった。
でも考えてみれば、流してもいいんじゃね?ってことも多かったと思う。
受け留め過ぎるし、その分返すし。みたいな。そういうとこ格段に減った。
母に対してだけまだ残ってる。。くらいかも。


職種変わると、初めて考えなきゃいけないことに沢山ぶち当たる。
今まで経理で大きい金額はみてきていたけど、レジ触ったこと無かったし
接客業も初めて、人に何かを勧めたり(販売の域)も全く初めてで。
これまでも人と多く関わる仕事だったけど関わり方が違って。

勉強さえすれば資格さえ取れば、違う仕事に就けるわけではなくて。
意識改革がほんとに必要で、そこに本気でここ一年近く向き合ってきてる。

仕事変わってある程度経った時に、多分エルモリヤのボトル使ってる頃かな。。
仕事で「なぜ人に自分の思いや言葉がうまく伝わらないのだろう?」と思った時に、
ま、私がニガテとするコミュニケーションの問題な訳だけども(苦笑)
語彙表現の少なさとかは当然で、それは自分が学んで深めて増やすしかないけど
そこにうまく気持ちが乗っていないように感じたし、
それがどうしてか?と思った時に、語彙の少なさの問題なんかより、
自分が周りに対して心を開けてないんだな、と思った。
もうちょっとライトに言えば、固い。オープンマインドとは遠い、のかなと。
結構元来の性格で、あんまり広く自分のことを知られなくていいと思っていたり
昔だったら、携帯を持つのにとっても抵抗があったこともこの辺に関わるかな。
いつでも解られちゃう、捕まっちゃう、みたいなのがイヤで。
書いててふと思ったのは、把握されちゃう感じがイヤなのかもしれない。

あ~こここそ母の影響かもな~。把握されるコトは管理され、支配されること。
解らない部分があれば、制圧しきらない部分が残る。
母は私を完全に管理し、支配というよりは制圧するという育て方だったから。
私には発言権も意思も持たせないというような感じが、幼少期から濃厚だった。
そこから逃れたくて逃れたくて、だから解らない部分を持とうとする。秘密を。
だから「わかってよ!」というよりは「気付かれるもんか!」というせめぎあいで。
・・・どんだけ閉じてんだか(笑)まったくwww
そう思うと10代ほど閉ざしていたのかもな。わかってもらうことすら諦めてた。
家でそうだから、逆に外では奔放に振舞っていたのかもしれない。

んで、その閉ざしたハートにメスを入れるべく、
エルモリヤのボトルにコミュニケーション助けられてる時に
ちょっとした試みとして、ブログのプロフィールを書いてみた。
何のことはない、自分がいま何をやってるか、ということなのだけど。
ま、とりあえず、施術数が150を超えたら書こうかなと思っていた。
mixiとかTwitterやFBにしても、ほんとに自分のプロフィールを明かしてこず。
進化するSNSの親切すぎるお知らせ機能がウザくて、誕生日すら消したり。
世が開けば開くほど、その辺でひっかかってる自分は閉ざしていってて。

あーあとは、前職がオフレコ沢山あったので、
守秘義務やマナーを重んじなきゃってのも、それに拍車をかけてたな~。

でも、仕事変わって壁にぶち当たってこのままじゃいかんなと、
まず少しオープンになることからと思い、その一歩でプロフィールを書いてみた。
といっても、書いただけで
ブログ書く時間がほとんどなかったために特に展開するわけでもなくて
あんまり意味なかったかもだが、リハビリの一環にはなってるかなw

んで、ここ近日。岡村靖幸の解禁(苦笑)で、ニガテが減っているコトに気付き、
そうすると、あれもこれも進むせいか、
何だか自分を縛っていたものが緩んでいく感じ。
昨日も他のプロフを何となくいじっている自分がいたw
これまで、ほんとに触れたくない領域でほぼ触らなかった。
だからその行為そのものが、自分にとって奇跡のようだ。不思議だね。

人に伝わらないのは、人に対して自分を開いていないから。
それが、ようやく自然に身に染みてきた気がする。
それが、ニガテが減っていくということに繋がっているのかな、と思った。
オープンハート、ってやつかな^^

オープンであること、というのは、
多分、ただ受容的である、ということではないんだな、とも思う。
以前は、オープンって大らかで何でも受け留めちゃうみたいに思ってた。
でも、ちゃんと「自分はこうだ」というのを表して(オープンにして)ないと
ただただ何かを受け入れて、表面的には人に添ってあげているような感じに
なりやすいのかもな、と思う。
自分を表すことって、それによって周りからの賛否両論も受け入れるという事に
なるのかな。。ってふと今思った。それが受容なのかも。

そう思うと、賛否に敏感すぎた面もあるのかもな。
それを怖がってたら、多分何も出せなくなる。
受け入れるだけになっちゃいそう。一見理解者のように見えるけどそれは違う。
自分の意思、他の人の意思、いいバランスのとこを見つける作業なのかな、
コミュニケーションって。

最近友人と会ったのだが、その友人に学生の頃話したことがある。
卒業したら結婚するという友人は、彼と一緒ならどんなものとも戦っていけると。
それを聞いて不粋かとも思ったが当時の私は、恋愛は(結婚も)バトルだと話した。
今はそれでいいかもしれない。でもいつか彼と同じ目線じゃない時も出てくるし、
二人で生きていくために、彼と戦わなきゃいけない時もくると思うよ。
意見を戦わせても手を取り合ってやっていける?と。それならいいと思うと。
友人は彼に不満を持ちながらも、結婚すれば就職しなくていいという
ある意味逃げにもなっちゃってて。それを本人もどこかではわかっていたし。
で、やっぱりそんな状態だと難しいわけで離婚になったわけだけど。
(今は幸せだからいいんだけどね^_-)

思いや不満があっても、自分の何か(例えば逃げもそう)との差し引きで
受け入れてしまったりすると、心はどこか固くなっていくのだろうし、
妥協という状態は「ええじゃないか」とは似て非なるものであって、
そこには隠れた動機があって、決してオープンな状態ではないのだな、と
最近会ったこともあり、ふと昔のことも思い出しながら、
オープンハートについて考えてみたりした。

このへんは、妥協といい加減の差なのかもしれない。