2024年1月31日

学校でおりぞめをやりたいけれどなんだかなと思っている人も多いと思います。おりぞめをやっている人は特別なんだろうなと思うかもしれません。

今,学校でおりぞめをやっている人がはじめからどんどんやっている人ばかりではありません。

わたしが支援学校で《おりぞめ発表会》を発明・実施したのは1999年。その時,同じクラスで一緒にしたのが西岡さん。いまでは,おりぞめの新しい教材も支援学校で積極的に取り組んでいます。しかし,彼が,自分で染料や障子紙を買って子どもたちとおりぞめをたのしんだのは,わたしと一緒にしてから3年後です。

〈学校でおりぞめ〉と言っても,知ってからやるまでは時間かかることは当たり前なのです。だって,学習指導要領や教科書にはありません。ですから,やる必要はない中で実施するので,〈学校でおりぞめを子どもたちとするを選ぶ〉ということです。

選択肢の一つなので,選ばなくてもどうということはありません。

ただ,選ぶにあたって,こんな人もいるということで紹介します。

おりぞめに出会ったのは2004年。しかし,実際に学校でやったのは2011年。しかし,それからはやらずじまい。本格的に始めたのは2014年という人の話です。

小学校に勤める峯岸昌弘(みねぎしまさひろ)さんの場合です。

 

 

【おりぞめに出会う 2004年】
峯岸です。ぼくが初めておりぞめに出会ったのは,教師2年目の頃に一度だけ顔を出した昭島サークルで,でした(2004年)。
どなたが紹介されていたのか、もう記憶も曖昧なのですが,「教室掲示用にいいですよ」と,「いつも笑顔で元気です」と長い紙に習字で書かれたものが染められていて,「めちゃくちゃかっこいい!」と思いました。「売ってほしいです」とお願いしたら「じゃあ,次のサークルで持ってきますよ」と言ってもらえました。でも,その後,その人にサークルでお会いできることはありませんでした(^^;) また,残念ながら,自分で染めてみようとは思い至りませんでした。

その後,フェスティバルやら大会やらの売り場などで,染める体験をさせてくれるようなブースに出会うことはありましたが,「時間もかかりそうだし,まぁ自分がやることはないだろう」と,特にやってみることもなく,月日が流れました。

【学校でおりぞめをやってみる 2011年】
おりぞめとの出会いから7年くらい後の2011年。学年で「6年生の卒業式で,おうちの人に手紙を送る」ということが決まって,どんな紙に書くかの相談していたとき,ちょうどその頃『たの授』に載っていた,小沢俊一さんの「おりぞめで卒業の手紙」の記事を読んでいたぼくが,「こんなのでやってみませんか?」と「おりぞめ手紙」を提案してみたのです。家には,奥さんが買っていた染料がありましたが,奥さんもそんなに経験がないらしく,結局『ものハン』を読みながら独学でやり方をマスターして,学年3クラス合同のおりぞめをしたのが初めてです。今考えるとだいぶ無謀な挑戦だったなぁと思います(笑)。

その当時は,「おりぞめ自体がたのしい」という認識がぼくの中になくて,「何かをつくるために紙を染める」という〈作業〉として考えていました。だから,そういう「なにか物を作る」というような目的でもない限り,おりぞめをしようという発想はなく,学年で一緒にやった疲労感も思い出され,楽しかったのですが,それっきりやらないで過ごすようになりました。

【おりぞめを選ぶ きっかけ 2013年6月】
そんな中,おりぞめ革命のきっかけになるのが,2013年6月頃に群馬で行われた「親子孫おりぞめ講座」です。まず,次々に紹介される「おりぞめの多様さ」に驚きました。おりぞめの進化を感じることができたし,特に,簡単に共同作品ができる「ハートでハート」みたいな実践があることに感動しました。「これは絶対にやろう!」と心に決めました。
(染伝人から:群馬での「親子孫おりぞめ講座」の様子の画像がこちらにあります。)

群馬・親子孫でたのしい<おりぞめ>講座 : おりぞめ染伝人ブログ (exblog.jp)

【おりぞめ選ぶ (おりぞめ革命)2013年12月】
そこでは「月並みおりぞめ」も見せてもらったので,やると決めたのならすぐにでも始めそうなものだったのですが,すぐにはやりませんでした。7月のサークルのときには,同じ講座を受けていた都丸さんが,すでに「七夕おりぞめ」の作品をさっそく持ってきていて,「スゲー!」と心底驚きました。それには「やるぞ!」という気持ちが高まりましたが,それでもそのままやらない状態が続いて,ついにその年の年末12月になりました。

その頃,たまたま『たの授』に載っていた「だんだんツリー」を,なにげなく奥さんに勧めてみたら,次の日にもう実施したときいて仰天しました。先を越されたぼくの重い腰が,ついに上がりました。図工で取り組んでいたポスターが途中でしたが,その週はもう中断して(笑),「だんだんツリー」をやりました(『おりハン』の「あけてみてのおたのしみだね」参照)。その年は,5年生を担任していたということもあり,「6年生を送る会」の飾りを任されていたので,やりたいと思っていた「ハートでハート」を実施。おりぞめの使い方みたいなものが,わかってきた気がしました。
(染伝人から:奥さんに先を越される話は,『学校でおりぞめハンドブック』102ページ「あけてみてのおたのしみだね」に載っています。また,峯岸さんのだんだんツリーはわたしのブログに載っています。)
だんだんツリーで心も暖々…マサヒロ学級の場合 : おりぞめ染伝人ブログ (exblog.jp)
次の年の2014年。4年生で単学級を担任したぼくは,図工でいろいろな「おりぞめ」を試してみることを始めました。
いや,初めから毎月やろうとか決めていたわけではなかったのですが,ひとつやるごとに「次はこれをやってみよう」に変わりました。なぜなら,子どもたちが「おりぞめ」をものすごく歓迎してくれたからです。「またおりぞめしたい!」なんて言われたら,やりたくなるじゃないですか。そして,おりぞめは週1の図工,単発2時間で作品を作ることができるので,なにか大きな図工作品単元の合間に,気軽に入れることができるのです。

気づいたらその1年だけで,「おりぞめ自分の一字」から始まり,「おりぞめ手紙・簡易版」「おりぞめコラージュ・あじさい」「銀河K・天の川」「おりぞめ万華鏡」「だんだんツリー・ホワイト」「おりぞめハッピーくじ」「ハートでハート・フレーム」「送る会の壁飾り」という感じで,ほぼ毎月おりぞめをすることになりました。自分でもびっくりです。だからぼくはこの年を,自分の中で「おりぞめ元年」としています(笑)

それにしても,再びおりぞめをやり始めた2013年から,今年で10年になるんですね。
今ではレパートリーも増えて,当然のアイテムのように「おりぞめ」が隣にある学校生活を送っています。

でも,新しいことに取り組むのが早い方だと思ってる自分でも,おりぞめに出会った2004年から,コンスタントにやり始める2013年までには10年近くもかかっていて,すごく遅いということがわかります。誘う方としても,すぐには来ないだろうと思って,長い目でみながら紹介し続けるって大事だなぁと振り返る,今日この頃です。

峯岸昌弘^^

追伸
こうして思い出してみると,ぼくがおりぞめを始めるのにはいつも『たの授』に背中を押されていることに気づきました。
ありがたい話です(´▽`*)

(染伝人から:『たの授』に背中を押された峯岸さんですが,『たの授』推しの推しも担っています。
仮説社から『たの授』の見本誌がデジタルで手に入ります。

仮説社 ONLINE SHOP / たのしい授業 見本誌2021年春号【ダウンロード版】 (kasetu.co.jp)
そのはじめの方に
学級目標は どっちに転んでも,シメタ!……峯岸昌弘
という記事があります。このタイトルだけだとわかりませんが,これ,たまモノが出てきて,おりぞめの記事です。
体育関係で有名な峯岸さんですが,いまでは,〈学校でおりぞめ〉の講座もできるぐらい,数多くの実践をしている峯岸さんです。しかし,2004年におりぞめに出会ってから,初めて学校でおりぞめをしたのは2011年。しかし,それ以降はしていません。2013年に〈おりぞめっていいな〉と思う機会はあってもやらずに過ごして,奥さんに先を越されてやってみる,という,どちらかと言えばあまりかっこよくないスタート。しかし,その後は,峯岸さんの学級経営におりぞめは欠かせないものになっています。おりぞめに出会ってもすぐに学校でしない。必要があり学校でしても,続けてやろうと思わない。そんな人でも何かのきっかけで変わるかもしれない。こんな人もいるのです。やってみようと思ったきっかけは大切にしたいと思いますが,やってみなくても大丈夫ということは伝えておきたいです。)

峯岸さんが2014年に学級で一番最初にした「自分の一字」


わたしのブログに詳しい記事があります。

最初の学級掲示 「たのしい毛筆で自分の一字&おりぞめ」 : おりぞめ染伝人ブログ (exblog.jp)
峯岸さん,ありがとうございます。