【『論破』より『議論』を!】こどもたちに必要なのは論破する力じゃない! | 不登校のお子さんのことで悩んでいるお母さんのためのブログbyお母さんエンパワラー坂本修一

不登校のお子さんのことで悩んでいるお母さんのためのブログbyお母さんエンパワラー坂本修一

「これから先、いったいどうなってしまうの…。」わが子の不登校に不安でいっぱいのお母さん。まずはお子さんが抱えているものを知るところから始めてみませんか?きっとお気持ち、楽になりますよ。

 

いらっしゃいませ。

お越しいただきありがとうございます。

坂本修一です。

お元気ですか?

今日も、みなさんと一緒に

学校や教育のことについて

あれやこれやと考えてみたいと思います。

こどもたちのこころの底からの笑顔のために!

 

 

 

 

 

最近、本はネットで買うことが増えてきました。

 

とんでもないくらい便利ですもんね。

 

本を選んでタップすれば

次の日には読むことができる…。

 

 

 

 

 

昔は、読みたい本があったら、

まずは本屋さんに行ってました。

 

その本があればいいのですが、無かったら…

 

残念…。

 

本屋さんに取り寄せをお願いして、

しょんぼりと足取り重く家に帰る。

 

そして、

「まだか、まだか…」

って待つこと数日。

 

「注文されてた本、入りましたよ。」

って電話もらって、

「やっと読める!」

ってワクワクしながら取りに行ってました。

 

 

 

 

 

それが今では、

そんな手間も、

落胆も、

ワクワクも、

ほとんどありません。

 

 

 

 

 

それに、なんとAIが、

わたしの趣味嗜好を推し量って

次から次へとおススメしてくれます。

 

これでもか、と言わんばかりに。

 

 

 

 

 

たくさんのおススメの中には

興味がひかれるもの、必ずあります。

 

そうなると、ついつい買ってしまう…。

 

 

 

 

 

最近、

そんな買い方をすることが増えてしまいました。

 

 

 

 

 

でも、そうすると、やはり偏ってきますね。

 

買う本の内容が、

っていうか、

その本を書かれた著者の立ち位置が。

 

 

 

 

 

一般的に言われている

リベラル』と『保守』っていう立ち位置、

ありますよね?

 

ネットで一冊、

保守の立ち位置の人が書いた本を買うと、

次から次へと保守の立ち位置で書かれた本が

おススメされます。

 

その中には、

「読んでみたい。」

って思ってしまう内容の本があるんですよね。

 

そうなると、

買いに行く、などという手間がかからないから

ついつい買ってしまう…。

 

 

 

 

 

こういう状態を

今時の若者たちは「沼る」って言うんですかね?

 

もしそうなら、

わたしもネットで本を買うのに沼ってました。

 

そうしたら、

読んでる本が明らかに偏ってきてました。

 

 

 

 

 

わたしは、

自分の立ち位置はしっかり持っておこうって

常に思っています。

 

でも、

その自分の立ち位置を持つにあたっては、

まずはいろんな考えを偏りなく受け容れたい

思っています。

 

そして、

その上で自分なりに考えて考えて…

 

考えた末に

自分の立ち位置がはっきりしてくるんですよね。。

 

 

 

 

 

論語に『中庸』っていう言葉が出てきますが、

わたしはこの『中庸』を大切にしようと心がけています。

 

中庸っていうのは、

バランスをとるっていうことやと、

わたしは思っています。

 

 

 

 

 

リベラルに偏り過ぎるのも良くないし、

保守に偏り過ぎるのも良くない。

 

どちらの立ち位置も尊重されるべきやと

わたしは思っています。

 

だから、

どちらの立ち位置で書かれた本も読んで、

その上で自分自身が考えて、

自分自身の立ち位置を持つことにしているのです。

 

 

 

 

 

このことは、

こどもたちにも、

ぜひそうあって欲しい

って思ってます。

 

 

 

 

 

ところが、

そんなわたしからしたら、

今、良くないなあっていう方向に

世の中向かっているように思えて

仕方がありません。

 

 

 

 

 

それは、

立ち位置が自分と違う相手を

否定し排除することしかしない

っていう方向。

 

立ち位置が違う相手を、

とことんやり込めようとする人が

もてはやされる風潮、ありますよね。

 

論破』とかいう…。

 

 

 

 

 

あれは良くないなあって思ってます。

 

そうじゃなくて『議論』しろよって言いたい。

 

 

 

 

 

自分とは考え方が違う相手をやり込めて

自分の考えを通す

 

これではまるで独裁者

 

自分自身の偏った考えに強制的に従わせるのですから。

 

 

 

 

 

しかも論破が得意な人のしゃべりは巧妙です。

 

なんとなく筋が通っているように感じてしまう

しゃべり方をします。

 

でも、よくよく考えたら、

その話題に直接関係ない、

論破相手の過去の主張を引っ張り出してきて、

それを叩くことで相手の人格を否定し自分自身を高める、

なんていうことを平気でやってます。

 

 

 

 

 

わたしも最初は騙されてました。

 

でも、今は騙されなくなりました。

 

中庸』を大切にすることで、

いろんな考えを受け容れることが

できるようになりましたから。

 

 

 

 

 

それに、その受け容れた考えをもとに、

自分自身のこころで感じ、

脳みそで考えることができるように

なりましたから。

 

 

 

 

 

いろんな立ち位置で書かれた本を読むことで、

わたしのこころの中、頭の中で

議論』が始まるのです。

 

感じたこと、

 

考えたこと、

 

それが意見を戦わせ始めるんですよね。

 

 

 

 

 

そのとき必要な力があります。

 

それこそ、まさに、

こどもたちが将来的に絶対、必要な力

思考』する力、です。

 

 

 

 

 

その『議論』によって、

わたしの《こころの幅》と《脳みその幅》が

どんどん広がっていくのを感じます。

 

 

 

 

 

昔は、ホンマに狭い人間でしたからね…。

 

こころも、

 

脳みそも。

 

今は、ちょっと広くなりました。

 

 

 

 

 

だからこそ、

こどもたちには

『論破』する力やなくて

『議論』する力を鍛えて欲しい

 

 

 

 

 

学校で行う

教育でも、

どんどん『議論』させて

あげて欲しい

 

 

 

 

 

そう思ってます。

 

 

 

 

 

現場の先生には

「それどころじゃない!」

って言われてしまいそうですが…。

 

 

 

 

 

それでもめげずに言っていくのがわたし。

 

 

 

 

 

こだわりの強さが活きてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も読んでいただき

ありがとうございました。

明日も

読んでいただけたら嬉しいです。