さてさて、


私はフォルクスワーゲンを見けかかるたびに

ドイツの独裁者 ヒトラーを思い出します。




不滅の人気 フォルクスワーゲン


この車とヒトラーの話をご存知でしょうか・・・




「フォルクスワーゲン」は

ドイツ語で「国民車」を意味します


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ヒトラーが権力を握る前のドイツの「道路行政」は、かなり遅れていた。


さらに古い都市が多いため(歴史的ばかりでなく美術的な建築物も多いため)、

それが障害となって他の国々と比較しても道路交通網の整備は遅れたものとなっていた。


また、ドイツの自動車保有台数も他の国々と比較して少なかった。


「これからの国家の評価は鉄道ではなく、高速道路の長さで決まる。

自動車が金持ちの階級のものである限り、

それは国民を貧富の二階級に分ける道具にしかならない。



国家を真に支えている多くの国民大衆のための自動車であってこそ、

文明の利器であり、素晴らしい生活を約束してくれる。



我々は今こそ『国民のための車』を持つべきである。」

 


ヒトラーはドイツの国力を世界にアピールするため、

「一家に一台」をスローガンに大衆に自動車を普及させることを主張した。


そしてヒトラーは、国民車の設計を

レーシングカーのデザイナーとして有名だったフェルディナント・ポルシェ博士に依頼。



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「フォルクスワーゲン計画」でポルシェ博士に提示した条件のうち、

ヒトラーが最も固執したのは「価格」


庶民の手の届く価格(1000マルク以下)であることに強くこだわった。


しかし、どう考えても、1台あたりの販売価格をこれほどまでに抑えることは不可能に思われた。

何しろチッポケなもっとも安い車でさえ1500マルクはした時代のこと。


しかしそれでも、ポルシェ博士は熱心に仕事を続けた。

自分がずっと胸に描き続けてきた理想の小型車に挑戦できる願ってもない機会だと考えたからだ。

 


「できました!」


ポルシェ博士の声。


「総統のお望み通りの車が完成しました。

どんなロード・テストにも耐えるでしょう。

たとえ水のなか、吹雪のなか、炎熱の酷暑、どこへ持っていっても故障なし、

そしてマス・プロ(大量生産)にすれば値段もお望みどおりのところまできます!」



この自信に満ちたポルシェ博士の言葉を聞いて、ヒトラーは笑みをこぼしたそう。



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フォルクスワーゲンの誕生。


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戦時中のポルシェ博士は、

もはやワーゲンの設計者というにとどまらなかった。


兵器製造の指導者としてヒトラーを喜ばせたりする。




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1949年に2台のフォルクスワーゲンがアメリカに輸出された。



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ヒトラーの恐怖が記憶の底に生々しい人々の目に、

この「ドイツの車」は幾分の嫌悪を持って迎えられた。


デトロイトのボスたちにしても同じだった。

かつて、占領中にヴォルフスブルクにやってきたイギリスの専門家たちのように、

彼らもまた「およそ問題にもならぬ車だ」と、一蹴した。


けれど・・・・


1950年、157台のフォルクスワーゲンが、アメリカで売れた。



1951年、390台が売れた。

1952年、601台

1953年、980台

1954年には一挙に6343台のフォルクスワーゲンがアメリカで売れた。


1955年には急カーブを描いて、2万8907台となり、

1956年には、実に5万457台のフォルクスワーゲンが売れたのである。






ところで、ポルシェ博士は戦車の設計などでもナチスに協力したために、

戦後、戦犯に近い扱いを受けて、フランスの収容所に2年間幽閉された。



その後、ポルシェ博士は息子フェリーとともに「ポルシェ社」を創設(1947年)。



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今でも高い人気を誇るポルシェの名車「356」は、
フォルクスワーゲンの車体の一部を基に作られた車。



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『フォルクスワーゲン(VW)計画』こそは、

ヒトラーの最大にして、彼が最も気に入っていた国家的事業だった。





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こんな、ストーリーがあったのです。




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「数々の悪行を重ねたヒトラーも、ただ1つだけ善行をやった。

それはフォルクスワーゲンを残したことだ。

ドイツは敗戦でさんざん叩かれたところを、フォルクスワーゲンで復讐したのだ……」と。