【父が亡くなりました】

令和3年1月17日 昼頃

父が亡くなりました。79歳でした。

 



3ヵ月前に脳出血で入院し、一時安定していたのでリハビリ病院に転院の予定でしたが、年末に脳幹梗塞を起こし、先日永眠しました。

急なことだったので駆けつけることができませんでしたが、母と長兄に見守られ穏やかな顔で旅立っていったそうです。
死に際に涙がポロリと一粒こぼれたと、兄が言っていました。

その日に実家に帰り、父の顔を見ることができました。
今までこんなに穏やかな顔を見たことがないほど、ほっとしたような安心しているような、いいお顔でした。

会社に勤めている頃は、短気で気性が荒く、すぐに怒り、常にイライラしていて、子供のころは本当に怖かった。
眉間にはいつもしわが寄っていたな。

生きているときはどれだけ気を張っていたのか。

「やっと楽になれたんだね」

と自然と口を突いて出てきました。

葬儀前におくり人がしてくださった儀式的なもの。

こうやって故人との別れを段階を踏んで受け入れていくのだなと
客観的にみている自分がいました。

お葬式もそんな感じ。

父がお骨になった後も、この光景を上から俯瞰している自分がいました。

そして、父の骨の入った骨壺を胸に抱いているとき

「抱っこしてほしかったんだね」

という思いが、ぽっと頭に浮かんできました。

父は男ばかり4人兄弟の長男。そして父が24歳の時に祖父が亡くなり、父親代わりとなり下の兄弟たちを見てきたそうです。

祖母はとても自由な人。穏やかで可愛らしくて近所の人気者、癒しキャラでした。
でも父との関係は、あまりよくなく、父が祖母の面倒を見ているような感じだったようです。

祖父が亡くなったときは、稼ぎ手が父だけですから。

そのあと下の兄弟も成人し手に職を持って働くようになったそうですが、そのころ父は母と結婚。

一家の主として、家庭を支える立場となりました。


子供3人を設け、育てる間、会社ではいろいろあったようですが
定年まで勤めあげ、家庭を支えていきました。

こう振り返ってみると、父の人生で本当に安心できる場所があったのだろうかと
疑問が出てきます。

母との関係は、よくある亭主関白な家庭でしたから
俺の言うことを黙って聞けばいいんだ、的な振る舞い。

母は父が暴れると怖いのでなるべく穏便にすませ
譲れないところは一応話をして納得させたりしていたようですが
言い出したら聞かないから、と口癖のように言っていました。

父が定年して病気になると立場が逆転。

母は介護する側になったのですが
あからさまに父をバカにするような発言がたまにあったりで
人って変わるんだな、人間って複雑だなって思ってました。

母は母でいつも頑張っている感じで、たまに力を抜いて
リラックスしたらいいのにと思うのだけれど
何かしら家事をしたり雑事をしたりしていました。

父も母も、その時代の「家族」「夫婦」「親子」という枠が
本人なりの前提としてあって、そこに丸裸の自分というものを
意識する暇がなかったような気がします。

父は比較的自分の趣味を貫いていますので
それが自分が自分でいられる時間だったのかもしれません。

でも、弱音を吐いたり甘えたり、時に全受容してもらったり
ということは、もしかしたら経験していなかったのかもしれません。

そして、先ほどの言葉

「抱っこしてほしかった」という言葉が再度浮かびます。

私の中の単なるストーリーですが

私が好きになる男性にいつも感じる
「かわいそう」という感情。

そして「力になりたい」という気持ち。

この謎が解けた気がします。

父が本当は望んでいたこと、それを私は無意識のうちに感じ取り
それを外側の男性に反映していた。

そして、それを満たすことで自分の価値を感じていた。

さらに、それは自分のことを自分で「かわいそう」と思っているから
自分を救っていたようなものだったと思います。



父が火葬場に入り焼かれているときに
胸のあたりに何かが忍び込んでくるような感覚に襲われ
気持ちが悪くなり、それと同時に
「私は引き受けないよ、自分で持って行って」という
言葉が浮かびました。

感覚的ですが、このお葬式の出来事で
私は父の心の願いと離別した感じがしました。

「受け入れてほしい、認めてほしい、抱きしめてほしい」

私は父の骨壺を胸に抱きながら

「抱っこしているよ。安心して。もう大丈夫だよ。」

と繰り返し心の中で言っていました。

私の中で癒しが起こった瞬間でした。

自分に対しても、そう言ってあげている感覚でした。

そして安心感を覚えました。


そして、完了したのです、何かが。


私がこれから深く関わっていく男性は
きっと、自分で自分の思いを処理できる人。

そんな気がしています。

そして、私はその男性を見てもなんとも思わない。
「かわいそう」と思うようなことはないと感じています。




43年かかったこの癒しの過程。

長すぎでしょ、と突っ込み入れたくなりました。

多分これからが人生のセカンドステージだと、私の魂は設定しているのでしょう。

楽しみなような、怖いような。一体何を用意しているのやら。