寝る前に宿題の自主学習をやり始めた娘。


30分くらい経ってもまだやってるので


どんなことしてるのかな〜と


見てみると


半分ほど埋まった暗算ピラミッド。


うわー、大変そうなのやってるね〜


と声をかけると


嬉しそうに


「ここまではね、やったことあるの。

でもこんな大きいのはやったことないんだよ」


と教えてくれました。


頂上に行く頃は十万の位までだな〜


すごいな〜、最後までやるのかな〜と


心の中で呟きつつ


嬉しそうに暗算してるので


そのまま様子を見ていました。


それから1時間ほどだったでしょうか。


私はパソコンで書き物をしていて

うとうと。


娘がノートを渡しに来ました。


眠かったので、ノートにサインするのは

明日にしようと思い


娘と2人で寝る準備をして

そのまま寝ました。


そして、翌朝

ノートを開けてみると、、、、




暗算ピラミッドを最後までやった

自分にお祝いをしている娘が

とても愛おしくなりました。


最後まで完成させた喜びを

まずは自分で噛みしめ

自分でお祝いをしている。


私に見せるわけでもなく

ただ、はい、っと

いつものようにノートを渡す娘


その時には

完成の喜びを自分で感じ

それを表現し

自分の中での満足感を得ていたのでしょう。


最後までできたよ〜と

人に見せたい

褒めてもらいたい

喜びを分かち合いたい

という気持ちは

娘にとっては二の次なようです。


娘の場合は自分の中での喜びを

自分に向けることで完結している。


自分で自分を喜ばせることができた

その静かな感動を

娘の絵から感じました。


これができたら最強だなと

思いました。


ふと、モンテッソーリ幼稚園で

先生から教わったことを

思い出しました。


「子供の喜びを大人が奪ってはいけない」


子供が集中して何かに取り組んで

そしてそれが終わった時


子供は自分の中から湧き上がる喜びを感じる


でも、そばで見ている大人が


すかさず


「すごいね〜!できたね〜!」

と、思わず言ってしまうと


子供が、その喜びを噛みしめる時間もなく


自分のやったことと

大人の反応を結びつけ

これをしたら大人が喜んだ

ということがインプットされてしまう。


すると、自分の中から湧き上がる衝動

これをやりたい!という気持ちからではなく

これをやったら大人が喜ぶから

という動機で行動を選択するようになると。


全部がこうなるとは思いませんが

一理あるなと思いました。


まずは自分が喜びを感じる時間を

たっぷりとってあげる

そして、それを人に伝えたくなった時に

受け止められるように側にいる。


それが大人の役目


大人は子供の環境


ともするとすると忘れがちなことを

思い出させてくれる出来事でした。