先日
なぜ日本人は「時間持ち」になれないのか
についてのウェビナーを受けました。

講師は永崎裕麻(ながさきゆうま)さん

現在フィジーと日本とデンマークの
トリプルライフを送っている方です。

 

 


「世界で一番非常識な幸福論」
の著者でもあり

 




ご自身が世界100か国以上を旅して
14か国留学した経験の中でたどり着いた
世界で一番幸福な国、フィジー


そのフィジーの人々との
交流を通して

「幸福」とは何か


ということの新しい定義を
提唱している方です。


ウェビナーの冒頭で問いが投げかけられます。


あなたは何貧乏ですか?


・時間貧乏
・金銭貧乏
・つながり貧乏





私は即答で時間貧乏と答えました。


とにかくやりたいことが多すぎて
いつももっと時間があったらいいのにな
と思っていたからです。




講義はこう続きます。



時間=義務+欲求+余り


時間というのは上記の方程式で表すことができます。



ではひとつづつ解説していきますね。



まず、「義務」について

日本人は「義務」と感じていることが多い
というお話でした。


新井昇子さんも
ちょっと考えてみてください。



一日の中で~しなければいけない、と
「義務」を感じてしていることは
どのくらいあるでしょうか。


そしてその「義務」感を感じて
していることは、一日の時間の
どのくらいを占めているでしょうか?



日本人が「義務」と感じていることには


労働、扶養、貯金、勉強、成長

などがあります。




これに対してフィジーの人々は
「義務」と感じているもの自体が
ほとんどなく


かなりうっすらと義務?かな?
と感じていることは


労働、扶養、つながり

なのだそうです。


かなりうっすらという意味は
労働にしても、扶養にしても
別に自分がやらなくてもいい
できる誰かがやればいいというくらいに
思っているからだそうです。


フィジーという国はシェアするというのが
基本設定の国だそうです。



例えば、バスに乗るのにお金がないとき
近くにいた人に
「お金ないからお金ちょうだい」という。

「お金貸して」ではなく

「お金ちょうだい」です。



すると何の躊躇もなくくれるそうです。

そしてそのお金をあげた人も

自分がお金がないときには人からもらうそうです。


自分のもの、人のものという概念自体が薄いそうです。




なので、子育てに関しても
自分で子供を見ることができないときには
近所の人に頼むし
それを当たり前のように見てくれる人がいる。



労働に関しても、働きたければ働けばいいし
働きたくなければ働かないのだそうです。



働かなくても、お金がなくても
生きていけるくらいの
シェアリング社会なのだそうです。



そしてシェアリング社会ではあるものの
何か細かい決まりがあるわけではなく
人と人とのつながりもゆる~い感じです。


待ち合わせ時間に遅れるのは当たり前。


何なら当日直前ドタキャンも気にしない。

来なくても理由もきかない。

いないならいないで大丈夫という(笑)




来なくても自分が過ごす時間は変わらない
または、予定が空いたので
なにもしないでぼーっとするとか。


そして何をするにしても
その理由を聞かないのだそうです。




ゆうまさんのお子さんが

突然警察署に行って
警官に「マジックをみてほしい」というと


即答で「いいよ!」と笑顔で帰ってくる。


ATMでお金をおろしたばかりの人に
「いくら下したの?」ときくと
ほとんどの人が、その金額を言うのだそうです。


これがいいか悪いかということではなく
フィジーの人々にとっては
理由を聞く理由がないということが分かります。


こういう社会なので
何かをしなければならないということが
ほとんどない一日を過ごしているようです。


だいぶ日本と違いますね。




次に「欲求」についての話です。


日本は物欲が強く

一人暮らしができるお金の余裕があり

趣味にお金がかかる




フィジーは物欲が弱く

お金がかかるので一人暮らしは基本しない

趣味にお金がかからない、というか趣味がない


のだそうです。




これは、国の豊かさに関係している部分だと思います。



日本は豊かな国であり、情報も溢れており
常にコマーシャルに触れている環境です。



対してフィジーは
観光で成り立っている国ですが
外資がほとんどなので
フィジー国民が潤っているわけではありません。


テレビコマーシャルはありますが
少ないのと質が低いので
買う気にならないようなものばかりだそうです。




そして最後に「余り」



先ほどドタキャンオッケーの話を
書きましたが


日本人は予定が空くとそこを埋めたがる。


時間が余っていたら

何かをするための予定をすぐに入れる。


というように時間の再投資をする人が多い
のですが



フィジー人はもともとスケジュール
のようなものがないし

何かする予定の時間が空いたとしても
そこに何か他の予定を入れたりはしないそうです。

予定がなくなったらラッキー。
その間、何もしない時間を過ごすのだそうです。




さて、ここで先ほどの方程式

時間=義務+欲求+余り


日本人の実態は



24時間<義務+欲求



となっており、あまりの時間がないうえに
24時間でも足りないと感じてしまうようです。



ここから、義務、欲求について
分解していきます。


その義務は本当にしなければならないことなのか?


その欲求は心からの欲求なのか?


この問いに答えていくのに
何個かの質問を自分にしていきます。



すると、時間持ちになれる方法が見えてくるのです。


ここからが幸せへの道が見えてくる部分
なのですが、、、、


長くなりましたので今日はここまで。




ここまでの話でも
「時間持ち」になれるヒントはたくさんちりばめられています。


自分なりに考えてみると
意外な盲点に気づくかもしれませんね。