人間の多様性については

 

他種の多様性を見てみれば

 

おのずと納得できる

(約6万種類以上いるというゾウムシ。養老孟子さんが大好きな甲虫)

 

人間だけ画一的なわけがないと

 

そう自然と思える。

 

 

 

でも、こと、人の多面性に関しては

 

理解、納得はできるけれど

 

なんかもやもやする~

 

みたいな、複雑な思いがあった。

 

その思いの根底には

 

自分のことでも人のことでも

 

何か一貫したものを求めたくなってしまう

 

欲求があるのだと思う。

 

自分の中で

 

他者を何らかの形で

 

カテゴライズしておけば

 

自分が安心するからか。

 

 

 

 

でも、本来人間とは

 

とても複雑怪奇なもので

 

だからこそ古の時代より

 

人間に関する探究心は尽きないのであって

 

一貫的でいることのほうが

 

難しい

 

 

 

 

人類が今のような社会で

集団で暮らすようになったときに

 

不都合なものが

悪いこととされているだけで

 

本当は

 

いいも悪いもない

 

ただそういうこと、もの、考え、行動が存在しているだけ

 

この前提を踏まえたうえで

 

この社会や文化、人間関係などの環境に合わせたり

合わせなかったりで

 

自分で選択していく

 

無自覚な選択を少なくし

 

自覚的な選択を多くしていく

(それさえも自覚しているという錯覚なのかもしれないけど)

 

合わせなくてもいいし

合わせてもいい

 

その時のメリットデメリットを把握していれば

どっちをとっても

自分が納得していればいい

それがまず第一に大事にしたいところ

 

そのせいで回りに迷惑がかかるとか

多大な不利益を被る人がいるとしても

 

それはお互い様だという面もある

 

お互い様だからと言って

開き直るわけではなく

その選択をした際に

不利益なことが起こってしまった人には

心から謝る、もう謝るしかないよね

 

不快な思いをさせてしまったことに対しては

謝るけれど

自分がした選択に対しては

誰に謝る必要も弁明する必要もない

 

自分に何かできる事があれば

誠意をもってそれをすることで

相手の不快さが軽減される

ということもあるかもしない

(歯切れが悪い(笑))

 

 

万物流転

 

一貫しているものなど何もないと

 

最近は感じるし、それでいいとも思えるようになった。

 

 

 

自分のなかの多面性を認識することが

 

他者の多面性に対しても認識することにつながる

 

 

そして

 

囚われのない感性、思考、行動につながっていく

 

そうすると

 

もっと自由に

もっと豊かに

もっと楽しく

もっと面白く

 

暮らせる日々が増えていく

 

 

そういう者同士がつながりあうと

どんどん拡大していく

面白い世界

 

タイミングが合えば

共に楽しみ

それ以外は別々の活動をする

 

常に一緒にいる必要もなく

 

お互いのタイミングで

お互いの気持ちが

お互いのほうを向いていれば

 

そこでは楽しい場が生まれる

幸せな時間が生まれる

 

アリさんとアリさんがこっつんこ

 

みたいに

 

あっちいってちょんちょん

 

こっちいってちょん

 

って、いろんなところで

いろいろな出会いがあって

 

お互いのベクトルが

向き合っていたり

同じほうへ向いていたりすると

何か生まれる

 

それが面白い

 

いろいろな自分が出てくる

 

その多面性を面白がろう

 

結局は自分が一番のエンタメなのかな?(笑)