昨日は午前午後とも
大人と接した1日でした。

普段の生活は
子供との会話がほとんど

仕事は健康診断、予防接種が多いので
会話らしいものはほとんどなし

なので、昨日のように
人と話すというのは
私にとって非日常

出るわ出るわの
話しまくりでした。

話しているうちに
あ、私、こう感じてたんだとか
そっかー、ここが気になってたんだーとか
この引っかかりは、これだったんだな

みたいなアハ体験がたくさんありました。

そして人の話を聞いているようで
それは自分のことでもあったりするから面白い

私は自然がたくさんあるところで
子育てをしたいんだと
改めて実感

話をした大人達も
自然の多い場所への思いが感じられたのです。
やはり人間も動物
DNAがそのように
プログラミングされている
本能なのです、自然を求め
その中で生きるということが


今の生活では
周りにいろいろなノイズありすぎて
子供も私も
知らぬ間に振り回されている

たとえば
スーパー、コンビニ、飲食店、雑貨屋などなどの
お店が否応なしに目に入るし、条件反射のようになにか買いたくなる衝動に駆られる

本当に必要ないものを
必要と思わされ
あるいは欲しいと思わされていることに気づかず

私も子供達も
その衝動に流されることが多々ある

それはそれで楽しいし
いいんだけど

でも
最近はとくに
これが山奥の
コンビニもない
スーパーもない
おもちゃ屋さんもない
雑貨屋さんもない
飲食店も大したところがない

そんなところだったら
このストレスやあの葛藤は
ないのでは?
と思わずにいられない

あるから欲しいと思う
あるから食べたくなる
あるから見たくなる

なければないで
欲しいとも思わない
食べたいとも思わない
見たいとも思わない
他にもっと楽しいことがあるし
楽しいことを見つけるし
楽しいことを作り出すから

とてもクリエイティブな時間が
容易に想像できるのです。

だから、
人生の中で
そういうなにもない環境に
自分を置くのも悪くないなと
むしろ
どんな自分になるのか
それを見てみるのもまた楽しい

子供たちは
外で遊ぶのが大好き
家では絵を描いたり工作をしたり
本を読んだり塗り絵をしたり
廃材を集めて秘密基地を作ったり
折り紙やあやとり
編み物したり、パズルしたり
トランプしたり、オセロしたり
百人一首の自動読み上げ機を
連打して楽しんだり
なんだかずれてきたけど、、、

とにかくなんでもいいんだなと思う

現代社会のいいところは

山奥の生活もできれば
都会の生活もできるところ

どちらかが恋しくなったら
それを求め移動できるというところ

一度決めたらそこから動いちゃいけないって
ことは全然なくて

それができる環境を
自分で整えればいいだけの話

どれだけ自分の感性、直観を
現実に落とし込むかで
行動できるできないが決まる

臨場感ともいう

気づいたら動いてた

動いたから現実が変わる

一歩踏み出せば別の世界

たとえそれが失敗と呼ばれるような
結果だったとしても

失敗だったかどうかは

人生が終わる時にわかるかどうか
それもわからないかもね

そんなことを考えていると

とにかくやってみることが一番だなと

自分のこの
物事に対する姿勢はとても好き


結局自分のことが
大好きなのであーる😘
みんなも、そうだよね〜