今日は息子のことを書こうと思います。

 

息子は今4歳

なんでも自分でやりたがり

できないもどかしさに涙し

 

自分の言うことはすべて正しく

人から何か聞かれても  ないしょ 

でかわす(笑)

 

そして、そして

言葉の敏感期なのか

何かというと

~ってどういう意味?

と聞いてくる。

 

例えば

 

引っこ抜くってどういうこと?

 

追いつめるってどういう意味?

 

ひときわってなに?

 

ぼうぎょって?

 

しとめるってなに?

(野生動物のDVDをよく見るのでこんな言葉ばかり)

 

などなど

 

そんなラブリーな息子との毎日は

とっても幸せなのですが、

さすがにいちいち答えているのがつらい

 

あ、これは一年前くらいに

なんで?なんで?といっていたころと

似ているな~

 

と思ったのと

答えても納得しないことも多いので

 

一応知っていることは伝えて

なんかわからないようなら

 

○○君は、どんな意味なのか知りたいんだね~

 

と言うと、

 

うん

 

と言って黙ります。

 

そう、なんでなんで攻撃の時と同じです!!

 

なんで~?なんで~?終わりなき問い

https://ameblo.jp/schokky0420/entry-12359559475.html

 

 

もちろんあの時よりは知的な好奇心から

聞いている要素が多いのですが

まだまだ気持ちに共感してほしいようでした。

何歳になっても変わらないのかもしれませんね、これは。

 

 

さて、気持ちに共感してほしい!っていうのと同じくらい

息子にとって大事なこと

 

それは

 

自分でやってみた結果を受け止めて

自分で納得すること

 

例えば

 

レゴブロックで大きな車を作ろうと必死な息子

でも、まだどうしたら強度が上がるのか

タイヤを同じ高さにつけるには何個ブロックが必要なのか

そういう細かいことは分かりません。

 

感覚でどんどん当てはめて積み上げていきます。

 

すると

 

追加したいパーツをつけようとするたびに

今まで作っていたものが壊れる(笑)

 

また組み立てる

追加する

壊れる

 

これを数回繰り返し

壊れないようにするにはどこにパーツを足したらいいかを

自分で考えてはめ込んだりしています。

 

それでもうまくできないときは

大泣きしてます。

 

でも、そのまま見ていると

すっかつしてまた組み立て始めます。

 

すると最後には

自分が納得する形で完成し

私に見せに来て

満足そうにそれで遊んでいます。

 

タイヤの高さも同じじゃないと走らないので

例えばタイヤを4つつけたいときに

 

4つのタイヤが高さが違うことは分かるのだけれど

何を基準にするかも決まっていないので

苦戦します。

 

そのうち、一つのタイヤの高さに合わせればいいのだと気づき

そのタイヤの高さになるようにブロックを追加したり外したりしています。

 

ここで、もうちょっと大きな子なら

一度に同じ高さのタイヤを完成できるのですが

息子の場合は

ひとつづつ高さを調節しては走らせてみて

 

あれ?まだなんか違うぞ?

というように

トライ&エラーを3回繰り返し

やっと同じ高さになり走らせることができるのです。

 

この過程をじーーーっとみているのは

ちょっと辛抱がいります。

 

つい手を出したくなったり口を出したくなったり

 

だって、その方が早く完成するし

何回もできなくて泣きそうになる息子がかわいそうだったり

そんな姿を見たくないという親の気持ちも出てきたり

 

でも、ですよ

 

早くできることがいいことなのか?

出来なくて泣くことが良くないことなのか

泣き止ませないといけないのか

私がその姿を見たくないのはどうしてか?

泣き声を聞くとイライラするから??それは誰のためなのだろう?

可哀そうだから?可哀そうなのはよくないことなの?

 

これ、全部、私の価値観から出てくるものなのです。

 

こどもにとって早くできることがうれしいことなのか?

泣きたいから泣いている

その悔しい感情を十分味わう時間を奪っていないか

自分でその悔しさ、悲しさを処理できるのに

その経験を奪っていないか

私がかわいそうだと思っているだけで

本人はどうなのだろう?

可哀そうと思われるからかわいそうな子を演じるのかもしれない

などなど

 

 

なので、私は基本

何も言わず見守っています。

 

必要な時は呼びますから

 

まーまー、こっちきて!

てつだって!

おいで、おいで

 

そこで初めて行って

 

どうしてほしいか聞きます。

 

この時もつい

こうしたらいいんじゃないかなと

先に行ってしまいそうになりますが

 

まずは息子の気持ちを受け取って

私を呼んだ意図を聞いて

何をしてほしいのか聞いてみます。

 

わかーんなーい、ないしょ

 

といわれたら

 

何に困っているのか、から聞いてみたりします。

 

少しヒントを出すと

 

どうしたらいいか分かった時は

サーっと自分でそれをやりだします。

こうなると自分で解決した!っていう気持ちになるようです。

 

 

 

もう一つのエピソードは

電子辞書の電池が切れて交換するとき

単3の電池2本が入っていたので

息子に取り換えてみようかと言ってみると

 

なぜか単4電池を入れたがる

 

これだよ、これ

というので、そのまま見ていたら

 

あれ?なんか、たりないみたいらね

ほら、ここ

あ~、ちがうんらね

 

と、言いながら自分のした選択が違っていたことに納得していました。

 

もし、息子を制止して正しい大きさの電池をいれさせたとしたら

どんな展開になっていたのでしょう?

 

息子が自分の判断で単4を持ってきたことに対して

あからさまにそれ違うよ、というのは

なんだか失礼な気がして言いませんでした。

 

自分の推測と、それを実際に検証し

その結果から導かれるものを

息子は得たいのでしょう

 

この知的欲求は

人間ならだれでも持っているもの

 

そう感じたので、なんだか失礼な気がしたのでしょうか?

分かりません。

 

結果、息子は自分で納得して単3電池を入れていました。

 

 

 

3つのエピソードを紹介しましたが

これはほんの一部

 

日々、毎瞬が子供との信頼を築き上げる出来事に繋がっている

 

大きく信頼関係を崩すこともあれば

またそれが立ち直るときもある

 

常にいい関係であることは理想だけれど

崩れたときにそれを自覚し

意図的に立て直そうとすることで

 

元の信頼関係に戻れると思っています。

 

家族ってそんな関係ですよね。

子供はとっても寛容で、柔軟です。

だから私も同じように寛容で柔軟であれば

関係はうまくいくのではないかと思います。

 

人として対等に、誠実に、時には激しくぶつかったり

そしてそのあとはまた手をつなぎ笑顔を交わすような

そんな関係でいる限り

大きな問題は起こらないんじゃないかな~と思って子育てしてます^^

 

視野が狭くなってしまったときは

大きな視点から俯瞰してみる

 

俯瞰していて部分が見えなくなったら

また細かいところに視野を戻す

 

この行き来ができるようになると

自分も周りもラクなんだと思います♪

 

私も日々修行中

 

という感じで

 

今日は息子と激しくぶつかりましたが、そのあとは

お互い愛情の再確認を求めたい気分だったようで

いつもと同じようにラブラブで過ごしました♡

 

こんな終わり方かい(笑)

いましかないこの可愛い時期を堪能してます☆