昨日のブログの続きです。

自叙伝、「平和を愛する世界人として」より、私の一番好きな序文より、抜粋します。

「真なる愛は、与え、また与えても、なお与えたい心です。

真なる愛は、愛を与えたということさえも忘れ、さらにまた与える愛です。

私は生涯、そのような愛に酔って生きてきました。

愛以外には、他のどのようなものも望んだことはなく

貧しい隣人たちと愛を分かち合うことに、すべてを捧げてきました。

愛の道が難しくて涙があふれ膝をへし折られても、人類に捧げたその心は幸福でした。」


愛を与えて忘れる、というのは、与えた相手に対するものだけではなく、神様の前に対しても同じなのだ、と、この御言を訓読しながら、お父様の与える姿勢の前に、自分の幼さを感じました。

何か不都合があると、すぐに自分のしてきたことの正当性を疑う。

それは、自分が神様の前に完全に捧げられているかどうかを疑うのと同じであり、決して神様の喜ばれる行為ではない。

本当の「与えて忘れる」世界とは、自分のした行為を疑う暇もないくらい、神様の願いに邁進し、与え続けることだと思いました。

折に触れ、自分の姿勢を疑い、確認してしまうもので…。

動機が正しければ、ひたすらに信じて進んでいこう!

そう思いました。