まだまだ続けます。
今回は第6話より。
久利生検事のセリフ
”そういうのを誤認逮捕っていうんじゃないですか”
”とりあえず謝ったらどうですか”
まるで私の友人の高橋喜一弁護士を彷彿とさせるこのセリフ。
久利生検事は、特捜部の検事に対して今回の逮捕は誤認逮捕じゃないのか、誤って身柄拘束された人に謝ったらどうかと迫った。
この後、特捜部の検事は謝るのだが・・・。
誤った逮捕、誤った身柄拘束があってはならない。それはそのとおり。
しかし、なぜ検察が謝るのか。
実はこのテーマ、もうすでにこのブログに書いている。
「誤認逮捕が示唆するものは」
また同じことになるのだが、もう一度書こう。
被疑者を身柄拘束することを決めるのは検察ではない。警察でもない。裁判所である。
政府である検察が、その一存で市民の身柄を拘束できるなんてことがあったら、これほど恐ろしいことはない。私たちはいつ政府から捕まえられるかわからないということになる。
いつもお上の批判ばかりブログで書いている私は恐くて外も出歩けなくなってしまう。
そのような世の中には誰も住みたくない。
だからこそ、市民の身柄を強制的に拘束する権限は政府には与えられていなくて、裁判所が出す令状がなければならない。もちろんこれは憲法に書いてあることで、国を統治する上で基本的なことだけれども、実は頭からすっぽり抜け落ちていると感じることが多々ある。
誤認逮捕、誤った身柄拘束があったとき、よく警察や検察が謝罪するシーンがある。
なぜ警察や検察は謝罪するのか。それは、自分たちが自分たちの力で身柄拘束したからという意識があるからではないか。
違う言い方をすれば、裁判所なんて関係ない。裁判所は自分たちが令状を出せと言えばオートマチックに令状を出してくれるところだから、自分たちの責任なんだ、という意識があるのではないだろうか。
私はこれは絶対に見過ごしてはならないことだと思う。
誤認逮捕、誤った身柄拘束で誰が責任を負うか。それは裁判所に決まっている。
誤った身柄拘束の責任の所在は裁判所になきゃおかしい。
今回、遠藤事務官が”誤認逮捕”され、”誤った身柄拘束(勾留)”をされたが、ドラマの中に裁判官の姿は一度も出てこなかった。
このこと自体がおかしいと思う。検察が自分たちの力で権限で身柄拘束できるんだということを勘違いしていることを如実に表しているような気がした。
そして、このことは身柄拘束の問題だけではなくて、裁判にも影響を及ぼしているのではないかというのが私の意見だ。
日本の刑事裁判は99.9%有罪判決が出る。
つまり、検察官にしれみれば、「おれが有罪だと思って起訴したから有罪なんだ」という意識が働くのではないか。そして、裁判官もまた「検察官が起訴したのだから有罪なんだろう」という意識があるのか・・・。
冤罪事件で警察や検察が謝罪するということがたまにあるが、これも間違いである。
誤った有罪判決の責任は100%裁判所にある。検察官は全く悪くない。謝る必要なんて何も無い。
誤った有罪判決に対して、検察官が謝罪するのは裁判所に対する冒涜だと私は思う。
それは身柄拘束についても同じ。
久利生さん、”とりあえず謝ったらどうですか”と言う相手は、その特捜検事ではなく、裁判官なのではないでしょうか。