スチャダラパー好きの女の子に対して美人のイメージがありますが、あれはどうしてでしょうか。
とりあえずスチャダラパーを聴こうと思います。
さて、一句鑑賞します。
逝く猫に小さきハンカチ持たせてやる
大木あまり『星涼』 より
死期の迫る猫がいて、主体はハンカチを持たせて見送ろうとする。
光景から、胸に迫るものを感じる。
だが、何故猫にハンカチを持たせるのか、そこにとらわれてしまったのは私だけだろうか。
対象は猫であり、日常的にハンカチを使う人間ではない。
主体はどのような意図を持って、猫にハンカチを与えたのか。
猫は死のうとしている。
生きている状態から、死の状態へ変わろうとしている。存在を把握できていた身近な存在から、存在を捉えられない漠然とした存在に変わっていく。
生きている猫は、何処かへ行くときにハンカチを恐らく持たない。それは、身近な存在である猫に対しての認識である。
しかし、猫が死ぬということで、「猫がハンカチを持たない」という認識が揺らぐ。猫がハンカチを持つか持たないかに、リアリティを与えられなくなるのである。
主体は、主体の認識の中にいた猫が、外れて「逝く」ことを感じ取っている。
リアリティの中にある猫が架空の存在の猫(長靴を履いた猫に見られるような、キャラクター性を持った猫)へ変化していく様を目の当たりにしている。
人間同士の別れのシンボルであるハンカチを与える行為は、主体がキャラクターとなる過程の猫を認めたが故の行為といえる。すなわち、死を認めるのである。
と、長々と書いてしまったが、実際は猫が生前に玩具にしていたハンカチだったりするのかもしれない。
それにしても、ハンカチを持たせるのは死ぬことに対する返答なんだよな。
まだ生きているけど、死ぬことがわかっているんだよな……。
