前回のブログで、夫が大荒れに荒れていた頃のことを書いてみたけれど、やっぱり思い出すのは辛かった。辛かった、というより腹立だしい。

だいたい、ブログだし身バレが怖いしで、アレだってかなり端折って書いているので、実際はもっと色々な事が起こったのだ。

こうやって文字にして書き起こすことで、大分私の心も落ち着いてきたけれど、振り返ってみるとやはり辛くて苦しい時期だった。

 

仕事が不調であること、子供が出来たこと、家族を守らねばならないこと、そのどれもが夫にとって途轍もない重圧だったことは、今ならば何となくわかる。

けれども当時の私は、私も働いているから生活は成り立つし、子供は保育園に入ることが出来たし、家事も育児も割合としては私の方が多いのに、何でそんなにいっぱいいっぱいなんだろう、と苛立ちと疑問でいっぱいだった。

 

背負える荷物の量は人によって違う。それは肉体でも精神でも同じこと。

 

考えてみれば当たり前の理屈なんだけれど、あの頃の私は気が付いてやれなかった。私もいっぱいいっぱいだったから。

 

私に対する暴力だ暴言だと最低な事をしでかしていた夫だったけれど、ある日、私は唐突に『もう駄目だ』と限界が来たのを悟った。

いつか元の、優しくて真面目な夫に戻ることを願いながら、耐えたり宥めすかしたり喧嘩したりして過ごしていたけれど、それでは駄目なのだと私はようやく気が付いた。

 

夫が私に暴言や暴力を振るうとき、それはいつも子供が見ていない時だった。言い合いの喧嘩くらいはしてしまったが、そんな時は何とか(形だけでも)仲直りを子供の前でするように気を使っていた。

 

そんな夫のなりの気遣い(?)が、崩れてきつつあった。子供の前でも、平気で私を罵るようになった。

そして、それまで喧嘩の延長でカッとなって手を挙げる、という形が多かったのに、喧嘩をしているわけでもないのに、何か気に入らないことがあると手をあげたり、手を挙げるふりをして脅す、ようになった。

暴言の内容も、言いがかりに近い…もっと言えば被害妄想のように、上手くいかないことすべてを私のせいだと喚きたてるようになった。

 

もう駄目だこのひと。

これ以上一緒にいたら、子供のこころに影響してしまう。離れるしかない。

 

決心すると、私は不動産屋に足を運んだ。夫の仕事に影響が出ないくらいの場所にあるワンルームのアパートを探し、候補をいくつか用意して、夫にお願いした。

 

別居してください。子供への影響を最小限にしたいから、私たちは出来るだけ環境を変えたくない。だからあなたが出て行って。その代わり、初期費用は私の貯金から出すし、家賃と光熱費も最低半年は私がもちますから。

 

私の提案に、夫は不貞腐れたように分かった、と答えた。でもお前が探してきた物件は気に入らないから自分で探す。とか何とか言って、最初は自分で不動産屋を回ったりしていたようだったけれど、結局、夫は別居を選ばなかった。

 

ごめん、俺は変わるから、一緒にいさせてくれ。もう暴力は振るわない、その時は離婚していい、そんなような謝罪の言葉を何度も口にし、私もその言葉を信じ受け入れたのだ。

 

それ以降、夫の理不尽な暴言も暴力もピタリと止んだ。

精神的に不安定になることはあっても、病むほどではなかったし、酷かったころのことを思い出しては、『あの時は本当にごめんな』と何度も謝ってくれた。

 

夫が落ち着いてからも、私には常に『またあの嫌な状態に戻ってしまったらどうしよう』という心配があったし、暴力を振るわれた記憶がかなり長い間尾を引いた(実は今でも思い出して苦しくなる)。その辛さを夫に訴えると、いつも夫は哀しそうに「ごめんな」と言ってくれた。

 

その後"何のトラブルも一切起きない"というわけにはいかなかったけれども(生きてるんだから当然か)、少しずつ私たち家族は穏やかに暮らせるようになった。

 

長い時間かかったけれど、ようやく家庭らしくなったんだ。苦しんだ分、きっとこれからは幸せに暮らせる。

 

夫が入院する少し前まで、私はそう思っていた。甘かった。

まさか統合失調症だなんて、夢にも思わなかった。あれは解脱でも何でもなかったのだ。