天ぷらやお寿司はお店でプロが作った作りたてのものを食べるのがやっぱり一番美味しい。
お寿司は薄い手袋をして握るのかなと思っていたけれど、
素手だった。
まあ、そりゃそうだよね。
手袋をして握って出されても興醒めだし。
それに、本当にノーリスクで過ごすなら、自宅以外での飲食は出来ない。
何軒か行ったお店は一様に以前とは違う店内になっている。
でも、机ごとに置いてあった調味料を全て撤去して、各テーブルごとに透明な仕切りを設置するとか可能な限り対策をしていると感じるお店もあれば、
言葉は悪いけれど対策してます感を出すための対策だなと感じてしまうお店もある。
でもまあ新型コロナの場合、どこまで対策してもスーパースプレッダーと出逢ってしまったらアウトなんじゃないかとも思っている。
感染しても八割の人は他の人にうつさない。
でも、一割のスーパースプレッダーは一気にうつしまくる。
お互いにマスクをしていても、ウイルスは小さ過ぎてマスクじゃ残念ながら防げない。
スーパースプレッダーが触った物にもウイルスは何日も留まる。
そりゃアルコール消毒とかで物は拭けるけど、人が触る度に拭けるわけもなく、
もし仮に30分置きに拭いたとして、その30分の間に触ったらアウトだ。
そもそも、お店の人がスーパースプレッダーだったら器や何やらにつき放題だ。
しかも、症状が出る数日前からが一番人にうつしやすいというデータが確定しつある。
もー、ホントにお手上げ。
もちろん、自分で出来る範囲で防衛はするけど、完璧には無理だとも感じる。
特に、喫煙所や喫煙している人の側を通る時、
その人が吐き出す煙を見ていれば、あっという間に周りに広がって行く。。。
吐き出す煙イコールその人の息。
ランナーが感染している場合、周囲10mに居る人に感染させる可能性があるとか。
これからは汗の季節でもあるので、
スーパースプレッダーの汗もかなりヤバいと思う。
これまた久しぶりに歯医者に行き、
待合室の素敵な椅子に座り、
以前は包み込まれるようでいいなと感じていたものの、
少し汗をかいた状態で座ったら、
ぬおおおーん、汗が椅子の皮につく。。。
これ、今日ここに座った人の汗がついてる可能性しかないよね?
本当お手上げ。
例えば、買い物に行ってお店に入る時と、出る時に消毒をするといいとTVで言っている。
けど、消毒出来るのは、消毒液が触れた場所のみと、消毒した直後だけ。
消毒液をつけてもバリアが肌に出来るわけじゃない。
いつもお店を出る時に手を消毒しつつ、
手は消毒出来たけど、消毒する前に触ったカバンやお財布やカードや携帯にもしウイルスがついてたら、それはそのままよね。
もしそうなら、カバンを持った瞬間にまたウイルスに触ってるよね。
ちょっとした絶望感を感じる。
まあ感じてても仕方ないのですぐ忘れるけど。
宣言中に引き篭もってる時も、どれだけ頑張って一歩も外に出ず引き篭もったとしても、やっぱり感染リスクはゼロにはならないと痛感した。
もちろん、自宅で畑をしていて外からの物資が全く必要ないなら可能かもだけど、
もしそうだとしてもベジタリアンでないと無理だし、
例えベジタリアンだとしても調味料のストックが切れたら?石鹸とかのストックが切れたら?
トイレットペーパーとか電池とか考え出したら、いかに普段の当たり前が当たり前じゃなかったか愕然とした。
でも、色々な意味で自分以外の人達にものすごく感謝もした。
意識しようとしまいと、私たちは繋がっている。
それに、自分以外に心の奥底から感謝する時、
心の奥から、
ううん、
魂の奥から、
魂が震えるほどの感動を味わうんだと知った。
至福なのかな。
心が震えて号泣した。
幸せになるのに必要な物は何一つ無い。
今ここで、心から感謝をすればいい。
「感謝すると幸せになるよ」
「幸せの鍵は感謝だよ」
結局、何を学んでもそこに行き着くし、
本当にそうなんだろうなとは思ってはいたけれど、
実感はしてなかったことも理解した。
困難な状況に置かれないと気づかないコトってある。
日常に戻れば結局忘れてしまうけど、
感謝の素晴らしさや凄さは深く心に身体に刻まれた。
今、目の前にある物に感謝出来ることを見つけようと思えば、すぐに簡単に見つけられる。
その感謝は簡単に全方向に広がって行く。
座っていても、
立っていても、
寝っ転がっていても、
周りに人が居ても、
周りが騒がしくても、
自分が居れば、
それだけでいい。
自分一人居れば、
いつでもどこでも感謝出来る。
感謝するモノは、
目の前の人でもいい。
目の前に誰も居ないとしても、
感謝したい人を想像すればいい。
物でもいい。
寝ながら気持ちのいいシーツに感謝する。
その気持ちのいい肌触りを味わったら、
感謝しない方が無理だ。
シーツを使ってくれた人に感謝する時、
シーツの原材料を育ててくれた人
シーツの原材料を収穫してくれた人
シーツの原材料を加工して糸にしてくれた人
その糸を布に織ってくれた人
織ったのが機械だとしても、そこに関わる沢山の人達
その機械だって、
ある日突然この世に機械の形でポンっと現れたわけじゃない。
機械からも無限に広がる感謝たち
出来上がったシーツという名の製品を梱包することに関わる沢山の人達。
梱包するのに必要な幾つもの資材。
その資材が調達されるまでの過程に関わる人達。
キレイに梱包されても、
そのままじゃ何処にも届けられない。
輸送に関わる人達
輸送に必要な乗り物
その乗り物を作る会社
その乗り物の部品を作る会社
その部品の材料を調達する会社
ハッキリ言って終わらない(笑)
無限に広がる。
もちろん、
感謝することにお金は一円も必要無い。
自分ただ一人で出来る。
いつでもどこでも。
話しが飛びに飛んだけれど、
感謝は無限に広がる。
怒りも無限に増大される。
不満もね。
結局は、自分が何に目を向けるかだ。
意識して注目したモノが広がる。
不満は無力感を刺激する。
無力感は被害者意識を強化する。
被害者意識で正義をかざして怒りを撒き散らしても何一つ解決しない。
今ここで自分が出来ることをする。
これしか出来ない。
でも、
一人一人がどんな意識で毎日を選択するかで世界は変わる。
もちろん、
理不尽なことをされたらキッパリと戦おう。
我慢することとは違う。
自分が自分を大切にする。
自分を大切にしなきゃ、他人を大切に出来るわけがない。
感謝することは自分を大切にすることでもある。
だって、自分が幸せな気持ちになるから。
って一体コレ何の話し?
お詫びに大好きな紫陽花を。
毎年紫陽花の季節は銀座の紫陽花たちをものすごく楽しみしていて、実際楽しむのだけど。。。
来年の楽しみにしよう。

