練習日誌より

 先月は私の出張、選手の帰省やコロナ罹患等により全体練習が思うように出来なかった。その1ヶ月で今まで出来ていた事も出来なくなってしまうのはおかしいという話をした。

 それは日々の練習の中で身につく練習をしていないからであり、1球1球に対する真剣さや情熱がない事も伝えた。蓄積させる・身につけるという感覚が現在の若い選手に乏しいのは事実。練習が終われば忘れてしまうのだろう。いつからそんな感じになっていったんだろうか。

 インカレ視察にいった時も各監督と話した時もその話題になった。前の試合と次の試合では別人になり、相手の術中にはまるとそれを覆す気力が見られず、そのままずるずると立ち直れず格下のチームに負けてしまう。そして決まり文句が「わかりません」という言葉。私たちも全くもって同じ状態にある。

 この流れを変えるべく我々指導者は個々の考え方を知り、それをどういう方向に導いて行くか日々頭を悩ませている。私は人と人の繋がりがチームや社会を作ると思っているが、間違っているのだろうかとさえ思わされる。今後人がやらなくてもいい仕事がどんどん増えていき、その内職さえ奪われていく時代になるかもしれない。そんな中人の絆は無用になるのであろうか。淋しい事だ。ネットがあれば何でも分からない事を教えてくれる。人が教えなくても良い時代になる。では何を教えるのか。私はそれを課題として頑張りたいと思っている。

 先日免許更新に行った際の講習の内容に感銘を受けた。

交通事故はなぜ起こるか、というテーマ。

「油断」と「おごり」が引き起こす自分は大丈夫だという根拠のない自信や

うっかり・慣れによって起こる。

そして、交通事故の本当の怖さを知らないからとも話された。

それは

1.一瞬で起こる。

2.自己責任(家族全員にもかかる)誰も助けに来ない→一番つらい

油断・うっかり・慣れは過失で修理ができるし取返しがつくが、

故意犯(死亡事故)になると命は返せないと言われた時本当にぞっとした。

 

また「大きなミスをした時は、その根底に小さなミスの積み重ねがある。」

自分は大丈夫だ、急いでいた、言われた注意を聞き流してはいないか。

その積み重ねが事故を招く。

交通事故を起こした方の反省として、

ある作文を紹介され、その中で身勝手な生き方をして想いやりに欠けていた事

感謝する事に気付かされた、たくさんの人に支えられていた事にも気づかされ、

取り返しのつかない結果を招いたとあった。

 

テクニック(運転技術)が重要でなく、心で運転してくださいと指導官が言われた。

 

私も練習で常に言っている言葉だ。

言われたからやるのではなく、本気でやりたいからやる。

だから身についていく。

運転もソフトボールや仕事に対しても皆同じ「心」が大切で

全てが心の持ちようだと再認識した。

 

 

 

 

 

 

 (3月のある日の練習日誌より)

 アップ時に走り方の腕振りを自ら変えている人が見られないという注意をした。

 指導者がいくらアドバイスしたとしても、本人に変える意識がなければ絶対変わらない。そういう部分を大人的に理解してほしいし、細かい事だがその積み重ねが自分を良くも悪くもする事を知ってほしい。

 結局の所、自分次第で如何様にも変わる楽しさを感じてほしいと思っている。常に自分がどうありたいかを意識した中でプレーしてほしいものだ。

 出来る事をやり続ける耐力がない。

 それでいて、技術的な高い所を求めたがる。これでは一向に何も変わらない。決して難しい事を指導している訳ではない。本当に目の前の出来る事をアドバイスしているが、本人自身自覚がなさすぎる。

 だから、そういう選手はこれから自らが質問してこない限りこちらからアドバイスする事は控えたいと思っている。

 ただ、その中でも試合にどうしても必要な選手には言い続けていく。あくまでも試合に勝つ事はその選手の手段であり本当の目的は、その選手が何を目指したいか、どうなりたいかを手助けするのが指導者の役割であり育成だと思っているからである。