
昭和から平成。。。。。時代が移り変わっても。。。。。
仮面ライダーが見せる本質は、変わらないのでしょうか。。。。。
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(reprinting:読売新聞/YOMIURI ONLINE)

▲宮内洋(俳優)
「ヒーロー番組は教育番組である」――今も昔もそう思っている。ヒーローへの憧れはその場限りでなく、大人になっても心に残っているものだからだ。
正義の改造人間が悪の組織に立ち向かう仮面ライダーシリーズの第2弾「仮面ライダーV3」(毎日放送制作/NET=現朝日、1973~74年)や、集団で悪と戦う「スーパー戦隊シリーズ」の元祖、「秘密戦隊ゴレンジャー」(NET、75~77年)のアオレンジャーなど、数々の特撮番組でヒーローを演じてきた。
初めて出演した特撮番組「仮面ライダーV3」の風見志郎は、両親と妹を悪の組織デストロンに殺されて改造人間となった、という設定だった。「絶対に復讐(ふくしゅう)劇にしてはダメだと考えました。敵討ちのため、ではなく、復讐を超えた正義を追求するための戦いということを常に心掛けていました」と振り返る。
番組は子供向けだが、芝居のレベルは下げなかった。「子供の目は正直で、ウソをすぐに見抜く」からだ。
「単に格好良さを見せるだけでなく、ワクワクするもので、かつ長く心に植え付けられることがヒーロー番組の第一条件。演じる方も全力でやらなければ、その思いは伝わらない」
スタントマンさえ遠慮するような危険なアクションを自ら率先してこなし、変身後にスーツアクターが演じる場面も、時間が許す限り立ち会った。
◎
仮面ライダーやスーパー戦隊に先駆けて、「ウルトラQ」(TBS、66年)、「ウルトラマン」(同、66~67年)が怪獣ブームを起こしたが、「対抗意識はなかった」と言い切る。
「巨大ヒーローのウルトラマンと異なり、我々は等身大。隣の家の住人の正体がヒーローであり、怪人であるかもしれないという設定で、視聴者の日常により入り込んでいたと思います」
“等身大”こそ、今も続く「仮面ライダー」「スーパー戦隊」のキーワードだと思っている。
さらに「昭和のヒーロー」は「体を張ったアクションや大がかりに火薬を使うなど、より人間的だった」という。「今のヒーローは、CG(コンピューターグラフィックス)であり得ないような表現ができますが、どこか機械的な印象があります」
火薬が爆発する撮影現場をオートバイで走り回るなどしたため、足には爆発で飛び散った石が当たった無数の傷が残る。
「ヒーローを演じた勲章ですよ。宮内洋は死ぬまで『ヒーローを演じた役者』と言われると思いますが、それでいいのです」(笹島拓哉)
▽みやうち・ひろし
1947年生まれ、東京都出身。68年に東映ニューフェース12期生に合格、ドラマ「キイハンター」(TBS)で注目を集める。「仮面ライダーV3」「快傑ズバット」(東京12チャンネル=現東京)などに出演。現在もドラマや舞台などで活躍中。
~イケメン新人俳優の登竜門に~
日本のヒーロー番組の草分けは「月光仮面」(KRT=現TBS、1958~59年)で、その後、各局が相次いでヒーローものを放送した。
1960年代に巨大怪獣ゴジラが活躍する映画が本格的にシリーズ化され、その流れに乗って、TBS系で放送された「ウルトラQ」「ウルトラマン」が、怪獣や巨大ヒーローのブームを巻き起こした。
一方、等身大ヒーローの人気を決定づけたのは、「仮面ライダー」(毎日放送制作/NET、71~73年)だった。主演の藤岡弘が撮影中に大けがを負い、急きょ14話から仮面ライダー2号が登場。同時に「変身」ポーズが導入されると、人気に火が付き、シリーズ化された。
集団ヒーローが活躍するスーパー戦隊は、テレビ局のネットワーク変更に伴って誕生した。仮面ライダーシリーズを制作した大阪・毎日放送が75年にTBS系に移ったため、NET系で、後継番組として「秘密戦隊ゴレンジャー」が放送された。
2作目の「ジャッカー電撃隊」(朝日、77年)の終了後、約1年空いたが、3作目の「バトルフィーバーJ」(同、79~80年)以降は放送中の「獣電戦隊キョウリュウジャー」(同、日曜前7・30)までシリーズは続いている。
TBS系に移った仮面ライダーのテレビシリーズは89年から長期間途切れたが、「仮面ライダークウガ」(朝日、2000~01年)から復活。オダギリジョーや佐藤健などが主演し、戦隊シリーズと並んで“イケメン”新人俳優の登竜門的な番組となっている。
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昭和ライダー世代の方々が。。。。。
その当時、仮面ライダーから受け取った、熱い、熱い魂が、しっかりと体に刻み込まれているからこそ。。。。。
いくつになっても。。。。。
いつになっても。。。。。
『仮面ライダーに熱くなれる』のかなぁ。。。。。って思ったり。。。。。
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