
レジェンドライダーさんたちの、スペシャルトークショー。
いつも、そのノスタルジックで魅力的な内容に、興味津々


>深みがあります

今回、藤岡弘さんと宮内洋さんの〝仮面ライダー対談〟が実現

スペシャルプログラム放送前に、その内容が公開になりました

(reprinting:スポーツ報知WEB



各界の人気者2人が毎回、ドライブをしながら語り合う―というBS朝日のトーク番組「極上空間~小さなクルマ、大きな未来」(毎土曜・後11時)の今月25日放送回で、仮面ライダー1号・本郷猛を演じた藤岡弘、(66)、V3・風見志郎の宮内洋(65)の“ライダー対談”が実現した。「テレビ番組でじっくり語り合うのは初めて」という2人を密着取材!! 撮影秘話や2人のヒーロー像の原点となった「鞍馬天狗」への思い、そして、今後の夢などを聞いた。
2人はスズキの新型ソリオに乗り、藤岡がライダー撮影当時、トレーニングしていたという神宮外苑を出発。「東映の京都撮影所にも必ず車で行く」というカーマニアの宮内がハンドルを握り、藤岡が助手席に乗り込んだ。
外苑西通りから白金を経由して目黒通りへ。「女優王国」と言われた松竹を飛び出し、東映が新たに立ち上げた「仮面ライダー」に俳優としての活路を求めた藤岡が、当時を振り返った。
「若かったし、とにかく体を動かしてみたくてね。当時は映画会社の協定があったから、いろいろな人が僕を助けてくれた。人との出会いによって、人間の人生が変わるんだよねえ」
こう語った。
旅回りの一座に憧れて俳優を志し、中学卒業後に故・丹波哲郎さんの門をたたいた宮内は、師匠との秘話を披露した。
「『役者は声に魅力がないといけないが、お前の声は森進一が風邪を引いたみたいだ』と言われてね…いい声を出そうと腹筋と横隔膜を鍛えるため、高校で武道をやってアクションに目覚めたんです」
撮影初期、自らスーツアクターもこなしていた藤岡は撮影中、バイクで転倒。左膝の複雑骨折という大けがを負った。
「仮面の中が吐く息で曇って前が見えなくて怖かった。何もかも新しいトライで、僕は実験台みたいなもの。でも、僕がけがしたことで2号ライダー(一文字隼人=佐々木剛)が生まれ、シリーズ化されたんだから、災い転じて福となす、だね」
危険なことが好きな宮内は、爆破シーンにこそライダーの醍醐(だいご)味を感じたという。
「いつも『火薬の量をもっと増やしてくれ』と撮影所長に直談判していた。海辺の撮影で(小さな)島の形が変わるくらい爆発させた時は、さすがに地元の人に怒られましたけど」
車は世田谷・二子玉川の河川敷にある、藤岡行きつけのログハウス風のカフェに到着。緑豊かなテラス席で藤岡が最近、凝っているというコーヒーを宮内のために入れた。コーヒー豆に向かって静かに手を合わせ、「相手を思いやり、いつくしむ。これこそ日本の心、もてなし。生かされし我が命に感謝」。茶道の茶わんと茶せんを使い、泡立てた独特のコーヒーに宮内は「うまい!」と声を上げた。
次の目的地である西池袋の「仮面ライダー・ザ・ダイナー」までは、多摩堤通りから中原街道を経て、荏原インターから首都高速へ。道中、2人は子供の頃、同じヒーローに憧れていたことを初めて知る。40本以上の映画が製作された嵐寛寿郎主演の人気シリーズ「鞍馬天狗」だ。
宮内「V3では1秒でも長く自分の顔で画面に映っていたかったのと、子供たちをじらす意味でも、変身のタイミングが重要だった。その原点は鞍馬天狗」
藤岡「おれと同じだ!」
宮内「鞍馬天狗登場の時は映画館でみんなで拍手したよね」
藤岡「小さい頃に正義を学んでいたんだよ」
ライダーを演じた2人には、“アラカン”のDNAが受け継がれていたのだ。
ショッカーの秘密基地風に内装されたダイナーでは、藤岡が1号をデザインしたロコモコ、宮内が「V3コロッケ」を注文した。
「いじめの問題にしろ、今の日本はどこかおかしい。子供の心をはぐくまないと国が滅びる。ヒーロー番組ほど素晴らしい教育番組はない。オレたちがまだまだ伝えないといけない」
藤岡がこう訴えると、宮内も応じた。
「今日は新たな一面も知ることができて本当に楽しかった。もう一度、共演しましょうよ」
固い握手を交わした本郷猛と風見志郎。2人のヒーローは、子供たちの未来のため、再び共闘することを誓い合った。
「ライダー…変身っ!!」
◆仮面ライダー・ザ・ダイナー ライダー40周年の昨年4月、東映大泉撮影所近くの池袋にオープンしたレストラン。店内はショッカーの秘密基地をイメージし、メニューも登場人物をモチーフに考案されている。旧1号をイメージした「ライダーパフェ~旧1号 Ver.」、ショッカーにヒントを得た「悪の秘密結社リゾット」などがある。
◆藤岡 弘、(ふじおか・ひろし)1946年2月19日、愛媛県生まれ。66歳。旧芸名は「藤岡弘」。高校卒業後、アクションスターを目指して上京。松竹にニューフェースとして入社。都はるみ主演の「アンコ椿は恋の花」でデビュー。仮面ライダーの後も映画「日本沈没」などに主演。84年には日本人で初めて全米映画俳優組合員となる。国内外を問わず、ボランティア活動なども行っている。
◆宮内 洋(みやうち・ひろし)1947年6月14日、千葉県生まれ。65歳。学生時代から丹波哲郎に師事。68年、東映ニューフェース12期生に。翌年、テレビドラマ「ああ忠臣蔵」でデビュー。70年からは「キイハンター」に出演した。V3後も「秘密戦隊ゴレンジャー」「怪傑ズバット」「ジャッカー電撃隊」とヒーローものに登場。「暴れん坊将軍」では「お庭番・藪田助八」としてレギュラー出演した。
That's All
時間を経ても、眼に見えるのは、どうすることもできない、歯がゆいことばかり。。。。。
今、大切なことは何か、そして、今、何をすべきなのか。
ヒーロー達が育んできた、正義の心を持つ子供達が、いつしか悪の心を持つ大人達に成り下がっている昨今。
ニッポンを救ってくれる、真のリアルヒーローの登場を待ち望むのも良いのですが、
>時間の余裕がありません。
今一度、心の奥底に眠っている正義の魂を揺り起こし、そして、ニッポンを救うために、〝国民、一人一人が、仮面ライダーに変身する〟必要に迫られています。
。。。。。
もしや、最近の近隣諸国の行動、財団Xの影が