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また一人、「仮面ライダーをつくった男」が、この世を去っていきました。。。。。



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わたしの色は、どんな色?



仮面ライダー1号桜島Quote From 阿部征司仮面ライダー40周年記念 仮面ライダーを愛する男』)

今日は残念なニュースです。
というのは 生田スタジオ所長だった内田有作さんが亡くなった事です。
七月のイベントの時は会場まで来られて、挨拶をする位の元気さがあったのに。

私は彼とは50年以上の付き合いでした。
東京撮影所の制作部時代、制作主任だった彼の助手を何本もやりましたが、
特に印象に残っているのは、高倉健さん主役の「暴力街」、三國連太郎さん主役の「無法松の一生」、「飢餓海峡」です。
特に「飢餓海峡」では東京オリンピックを北海道函館で見た事です。
(天気が良くて 台風の場面が撮影出来ずに、ずっーと旅館で待機していたからです。)

この映画、予算はオーバー、映画の長さが予定より長くて、カットする、しないで監督と会社が揉めました。
監督は内田 吐夢、有作さんの父親です。
で、この映画以後は東京制作所というテレビ映画を作る会社に異動されたのです。
そして、「仮面ライダー」の制作があったのです。
もし彼が居なかったら私は参加していなかったでしょう。

お葬式などは内々で執り行うとのことなので、来年の一月か二月にお別れ会をやるつもりです。



仮面ライダー1号Quote From msn 産経ニュース

東映・生田スタジオ設立の内田有作さん死去

内田有作氏(うちだ・ゆうさく=元東映生田スタジオ所長)7日、大腸がんのため死去、77歳。葬儀・告別式は近親者で執り行う。お別れの会は平成24年1月28日午後5時、東京都中野区中野4の1の1、中野サンプラザで。喪主は妻、千鶴子(ちづこ)さん。

映画監督の故内田吐夢さんの二男。昭和48年に生田スタジオを設立、特撮番組「仮面ライダー」などの制作に携わった。





わたしの色は、どんな色?


わたしの色は、どんな色?


わたしの色は、どんな色?


わたしの色は、どんな色?




内田:『変な話、映画かテレビかと言えば、当時は明らかに映画が上で、テレビは1ランク落ちる。その1ランク落ちる中でも子供番組はジャリ番なんて言われて、さらに落ちる。そういう時代です。だからこそ、僕たち生田はジャリ番をやるんだ、と。その認識に立て、と。だけど、みんなが一丸になってやっていけば絶対に必ず道は開けるはずだ、と。とにかくそういう思いでみんなやってました。





今、ichigoイチゴ**が、こうして、仮面ライダー/特撮について云々と綴れるのもえんぴつ



彼が築き上げた、熱い、熱い礎があったからこそ。。。。。



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仮面ライダーこの世に、闇と混沌が存在する限り。。。。。



俺たち、仮面ライダーは、永遠に不滅だっ!!。。。。。



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内田有作さんのご冥福をお祈りいたします。