【2017年11月4日】
今回の旅は地元神田和泉町の町名の由来となった「藤堂和泉守」の縁の地を巡る旅でしたが、マンホール撮影の合間に名張市内にある『名張藤堂家邸跡』も訪れてみました。

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『名張藤堂家』は、織田信長の重臣丹波長秀の三男で、藤堂高虎の養子となった高吉が1636(寛永13)年に二万石を給され屋敷を構えたことに始まります。
邸内には、往時の栄華を偲ばせている貴重な文化遺産が展示されています。

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