2015年も最後の1日となりましたね。
今年話題に上がった物事のうち、やはり大きかったのは
インディーカー シリーズでのジャスティン ウィルソンの死亡事故と、
昨年の日本GPで事故に遭い、今年亡くなったジュール ビアンキ。
 回収作業中のクレーンに突っ込む、というビアンキの件でも一時期
キャノピーの話が出たものの、これはどちらかといえばレース運営の方の問題であり、
200km/hで動かない物体に突っ込めば、仮にキャノピーを付けても
脳が大きな加速度を受けて結果はほとんど大差ないであろう、ということで
それほど大きな動きにはなりませんでした。
 しかしウィルソンの件では、クラッシュしたセージ カラムの車から外れたノーズが
頭部に当たる、という完全に車の構造側の問題であったため、
ドライバーの頭部保護に関する議論が再燃しました。
今年最後の話題としてこの話に触れておきます。

 振り返れば2009年、FIA F2でヘンリー サーティースの頭部に
他車の外れたタイヤは当たって死亡。そのわずか1週間後、F1ハンガリーGPで
フェリペ マッサの頭部にルーベンス バリチェロの車の部品が直撃、大怪我を負いました。
 脱落部品以外でも、タイヤ同士が接触するなどして浮き上がった車のノーズや
タイヤがドライバーの脇をかすめることも多く、FIAも以前からいくつかの
技術を試してきています。

 キャノピーはその最もわかりやすい例で、コクピット部分に覆いをしてしまうわけです。
以前FIAは戦闘機のキャノピーを流用して物をぶつける試験を行い、
耐久面では効果があることを確認しましたが、デメリットも多く却下されました。


 また、フロント ロール フープ、という、排障用の構造物を設ける案もあります。
 ウィルソンの事故を受け、メルセデスもこういった保護策を公開しました。
 これもロール フープ案の1つと言えます。
 
 かつてロマン グロージャンの車に首を切り落とされかけたフェルナンド アロンソは
キャノピーについて安全における『最後のピース』と語るなど、
技術が確立されればすぐに導入すべきという声と、課題を指摘する声、そして、
「F1はずっとオープンでやってきたもので変えるべきではない」という
伝統論が混ざっているのが現状です。

 課題として挙げられるのは、
・キャノピー
 横転や炎上の際、脱出しにくくかえって危険
 跳ね飛ばした物体が観客席に飛んで行く恐れがある
 視界に歪みが生じ、タイヤ剥き出しで接近戦をするレースでは危険
 空力性能が向上してしまい高速化する
・ロール フープ
 小さな部品、側面から乗り上げてきた他車のノーズは防げない
 正面から来たカーボン部品も砕けた上で当たる可能性がある
 規則を詳細に決めないとフープは容易に空力部品としての開発になってしまう
 視界の妨げになる

 キャノピーの課題はやはり脱出性。LMP1と比べても空間が遥かに狭く
構造的に脱出機構に割ける余地は小さいでしょうから、確かにそれは
改善すべき事項です。
 しかしながら、ここ10年ぐらいで考えて、火災ですぐ逃げないと大変な状況に
なった場面と、物が飛んできた場面では後者のほうが多く、1970年代のように
簡単に燃える車でないことを考えると、そのリスクをあまり課題に捉えて
議論が止まるのもまた問題。
 単に頭部保護だけを考えれば最も効果的なのは間違いないだけに、
技術的進歩が望まれるやり方です

 フープの方は挙げた通り。これは恐らく導入が簡単で、少なくともタイヤによる
死亡事故を確実に減らすことができるので、保護という観点では
「繋ぎ」の技術として有力と言えます。

 

 と、ここまで来たところで、この競技の根本的考え方、というのが出てきます。
かつて事故で生死の境をさまよったニキ ラウダ。詳しい言い回しは忘れましたが、
1件の死亡事故で騒ぎになって感情的に動こうとする人々に対し、
「毎回スタート前には『これが今生の別れだ』というつもりで望む」
といったことを語り、そもそも前提としてモータースポーツに事故、そして死と
いうものは付き物であり、それらを全て恐れ、否定していては成り立たない、
というような見解を示しています。
 確かに、事故が嫌なら、80km/hしか出ない車でゆっくり走っていれば
いいわけで、最速を目指して闘いながらそこに付いて回る事故を完全に
無くそうとする、というところにそもそもの矛盾が生じます。
 どこまでを『可能な限り避けるよう努力する』部分とし、どこからは
『避けられない問題』として残すのか。
100%安全はあり得ないという前提のもとで、十分な検証が必要であるのは
確かです。
 仮に導入した物が逆に死亡事故を引き起こしたとしても、その時にも、じゃあ
やめたほうがいいのか、それとも他で多くの事故からドライバーを救っており
やむを得ないのか、ここでもまた感情に左右されない判断が求められることに
なるでしょう。

 
 ここまでは頭部保護、『コクピットはオープンか』に焦点を当てていますが、
全く同じ理由で『ホイールはオープンか』という話も出てきます。
乗り上げ無いほうが安全に決まっていますが、覆うと空理性能はやはり向上、
そしてこれもまたF1が守ってきたスタイルと相反します。
 
 個人的には、伝統という理由で形状変更を拒むのは反対です。
形状を除けばF1の規則はどんどんと変わっており、肝心の動力部分の
開発が制約されて改造できないなんて、昔からすれば伝統無視もいいところ。
サスペンションにしろウイングにしろ、自由に作っても、
巨額の予算がかかって無制限では成り立たない、という現実に押されて
こうした縛りが作られているわけですから、今さら車体の形状だけを伝統という
理屈で縛るのはどうかと思います。
 先日紹介したMP4-XやX2010/X2014を見ても、LMP1とは違った個性を持ち、
F1らしい印象を残したままタイヤとコクピットを覆ったデザインが成されており、
規則作りがきちんとしていれば決してF1の精神が損なわれることはないと考えます。

 ただ、それはあくまでコクピット閉鎖に関する技術的課題が克服されていることが
当然ながら前提となるわけで、ここはFIAの努力に任せるしかありません。
どうもここいらの組織というのは意思決定プロセスが破綻しており、これもまた
別の機会で書きますが、2017年の車両規定1つ取ってみても、
「それやったら逆効果でしょ?」と素人でも思うような物が作られてしまいますから、
そこが気になる部分です。
 実際、今の低いノーズでさえ、前の車の下に潜ったり、あるいは
壁に突っ込んだ時にも埋まってしまう危険性が特に今年は見られ、
「何であんなに低くしたの?って話をしてる」と解説で川井 一仁も言っていました。
 何をもって『適度』かは難しいところですが、ハイ ノーズの危険性だけを
意識しすぎて逆の問題に対する考えが少々及んでいない気がします。


 現状で議論は、少なくとも何もしない、という方向では無いようで、 
年末の情報ではFIAがメルセデス案を含む数案を真剣に考えている模様で、
今後テストが行われ、結果次第では近いうちの搭載もあり得るとのこと。
F1のレース ディレクター、チャーリー ホワイティングも
「必ず実現する日が来る。いつかドライバーの負傷リスクを減らす何かが行われるだろう」

「やり抜かなくてはならない。あらゆる条件でドライバーを保護することが
100%できなくても、何かをしなくてはならない」

と語っており、いよいよ導入機運が高まっていると思われます。
 F1がタイヤもコクピットも覆われた車でのレースになっても私は驚きません。
また、フォーミュラーのレースはもちろんF1だけではないわけで、
F1での動向はその他のカテゴリーにも波及するでしょう。
 日本のスーパーフォーミュラは、重くなったF1と違って軽量・高ダウンフォースで
コーナー区間ではF1を凌ぐような速さの部分もあります。
 しかしこの高速車両、F1が『ギロチンになってあぶねえ』として禁止した
ハイ ノーズで、鈴鹿の1コーナーで車が絡んで、誰かの首が飛んでも
不思議ではないわけです。
 でも『SF危ないからどうにかしよう』という話はあまり見た覚えがなく、
やったのはエンジン出力の抑制ぐらいで、SF自体がF1に迫る速さを『ウリ』にしています。
 F1に関する議論は取り上げ、インディー恐いよね、という話もするのに、
SFだけ特に何もない、というのは私には随分と呑気で平和ボケにしか
見えないんですが、上記の私の話にのっとれば、SFは安全性よりも速さを
重視している、とも言えます。とはいえF1の形状が変われば、当然こうした
カテゴリーも影響を受けることになるでしょう。
 ひょっとするとそれを逆手に取って『真のフォーミュラーによるレースだ』と
かえってそれを謳い文句にするかもしれませんが。

 今年は富士でスーパーカーレース(GT3車両を使ったジェントルマン向けのレース)
のための練習走行中だった早乙女 実が死亡。
また、ニュルブルクリンクで日産GT-R ニスモ GT3が浮き上がってフェンスを
超えてしまい、観客が死亡する事故もありました。
ラリーでも観客が死亡する事故もありました。
 ハコ車であれば死なないわけではありませんし、観客もリスクを持っています。
言ってしまえばそれらも全て自己責任、死にたくなければ走らなければいいし
見なければいい。100%安全は競技が行われている以上あり得ません。
 伝統を守る声も、アロンソも、ラウダも、チャーリーも、全員の意見に
それぞれ分があり、誰かが正解で誰かが間違いではありません。
最も悪いのは何もしないこと。
 その昔、「鉄道は人柱工学」と聞いたことがありますが、
モータースポーツも同じです。亡くなった人の分だけ前に進む。そして繰り返さない。

 来年も現実を受け止めて、この問題を見ていきたいと思います。
願わくば、1度も語ること無く終わりたいものですが。