レッド ブル レーシングの代表、クリスチャン ホーナーが、
F1のためにホンダとルノーのPU開発を認めるべきという趣旨の
話をしたそうです。

 この競技の規則はいつの時代も、不利な人が文句をつけ、有利になっている人が
それを阻み、それをお金やらなんやらで解決する政治によって成り立って
来ましたが、そろそろそうした時代は終わりであると全員が気づくべきです。

 F1人気低迷の理由についてはあれこれと述べられており、そもそも
迫力がなくて高コストなPUが現況だからV10にすれば解決、みたいな話も
よく目にしますが、私はそういう問題では無いと思っています。
全部語ると長いので今回は2点だけ。

 1つは、商業権を握るバーニー エクレストンの姿勢です。
「F1視聴者が減った」とかよく騒いでいますが、そもそも高い放映権料を
目的に無料放送から有料放送へと放映権を売る相手を替え、視聴可能世帯数を
減らしたのは彼自身です。詳しい数字を忘れましたが、イタリアでは
これによって視聴可能世帯数が数十分の一に激減したと読みました。
 これ、日本ではJリーグや最近ではプロ野球も当てはまりますが、
(これはむしろ数字が取れないから追い出したわけだが)視聴可能世帯が減ると
視聴者減に拍車がかかったり、新しいファンを発掘する機会損失が起きて
中長期的にファン層は減少します。
 地域密着でうまく行っていると言われる双方ですが、全体としてみれば
決して好調ではないでしょう。2ステージ制でちょっとでもスポンサー料を
稼ぎに行ったチェアマンがトロフィー授与の席でブーイングを浴びたのが
その例な気がします。

 映像の権利の壁も高すぎて、ニュース映像としてレース画像を使うことも
権利を取得していないメディアはできません。
 日本のCS放送でも海外F1番組なんかをたまーにやってますが、それですら
権利のないメディアの番組だと、静止画(写真)とか、冬のテストの映像の
同じシーンを繰り返すだけ。ハイライト等のニュース素材、外部が作る特集番組での
映像使用すら締め出すなんて、私から見れば馬鹿げています。
 取り囲み戦略がいつまでも通じると思っているんでしょうか?

 

 PUの問題はというと、各陣営、今ならメルセデスですが、彼らは
コース上では敵でも、F1という興行を成り立たせる上では運命共同体であると
いう認識を持つべきです。

 モータースポーツ界では、SUPER GTのハンデ制は昔から有名ですが、
今の運営組織・GTAはワークス3社の合議団体みたいなもんなので、あまりに
戦力差があれば調整を図るなど、裏では緊密に連携し、3メーカーあっての
GTだ、という確固たる認識を共有しています。
 DTMも、昨年開発凍結したものの、遅いメルセデスだけ開発期間を伸ばして
あげる、といった措置をとりました。彼らも運命共同体という認識を
持っているんでしょう。

 アメリカのメジャー スポーツは、どれもドラフトの完全ウエーバー制
(ただし指名権のトレードや、FA選手に絡んだ指名権の移動があるので
必ずしも順位通りには指名していない)、プレー オフ制度、年俸総額上限制や
課徴金制、などと、戦力を出来るだけ均衡化させることでシーズンを面白くし、
観客数を伸ばしてきました。
(もちろん制度にはいろんな抜け穴があったりするわけですが)
 お金のあるチームからすると面白くないわけですが、それはそれなりに
紆余曲折がありつつも、自分たちだけで興行が成り立っているわけではない、
という認識があるからこそそれなりに合意してきたんだろうと思います。

 もちろん人間が行う団体競技は、お金をかければ必ずしも強いとはいえず、
ビリー ビーンのマネー ボール理論はだからこそ映画にまでなったわけですが、
それでも、そこからすると今のF1ってどう見ても時代遅れというか、いつまでも
「F1は人為的性能調整一切抜きに、自由にやって一番うまくやった奴が勝つんだ」
という考えで行動していては、客が離れるのも当然、と思えます。
 
 トークン制度事態を安易に破壊してもメルセデスにも利があるので、
例えば、成績に応じてPUサプライヤーにシーズン中、あるいは翌オフに使える
追加トークンを与えるとか、ウエイト ハンデはF1にはキツすぎるので、
成績を残しているチームに対して燃料流量制限を厳しくする、とか
現行制度の手直しでもそれなりに均衡化を図ることはできます。
 もちろん規則として明文化して「決勝平均タイムがトップの○○%の場合」
とか付けると、見事にその通り計算してギリギリ抵触しないようなペースで
走ったりとかいうことをまたやりそうですが。


 結局、「高額の分配金を用意してチームの不平不満を引き留めにかかる→
金がいる→高額の開催権料を各レースに要求・高額の放映権で有料放送に売る→
入場券が高い・見れる世帯が少ない→ファンが減る」という連鎖に陥り
自らの首を締め続けているわけですが、これは興行主・参加者の双方が
利他的な考えで行動していけば、車なんて大々的に作り変えなくても
口先と調印書とペンだけでどうにでもなるわけです。
 それができなきゃ、10気筒だろうが100気筒だろうが、また別のところで
利害対立が起きるだけで何も根本は解決しないと思います。
V10でホンダだけ異様に速かったら、誰も文句言わずにホンダ無双に
付き合ってくれますか?

 もっと根本的な話をすれば、少し前の時期に、F1が記録的視聴者数を
記録した時代は、アジア・中東に本腰を入れ始めて間もない時期の
バブルみたいなもんで、娯楽が多様化し、街ゆく人間みんな前を見ずに
画面を見ながら歩いているような時代に、いつまでも「俺達世界一の競技~♪」
とふんぞり返っていられる事自体があり得ません。
「世界中の誰しもが熱狂するF1」なんて、狙って作っても帰ってくるとは
正直思えないのです。

 今WECが3メーカーかなり拮抗していて
「WECは自由に作らせてバラバラの動力でも同じタイムで走って面白い。
それに比べてF1は・・・」という声もけっこう見るんですが、これも
燃料タンクの容量とかリストリクターとか、結局はバラバラの車をある程度
同じようにする規則が作られていて、その采配がいまたまたま絶妙なことが
要因でしょう。F1だって調整すればすぐにほぼ同じタイムで走れるでしょう。
それにWECもル マンはお祭り的に取り上げられても、それ以外のレースが
それほど世界的に興味を引いているというわけでもなさそうです。

 人為的要素大有り、ハンデありの魅せるレースになって客数世界一を
目指すのか、もう誰も客席にいないけど、世界最先端の技術を黙々と
メーカーが争い、一部のオタクだけが食いつくザ・マニアックなものを
目指すのか、極端な話それぐらいの割り切りなくして改革は無いと思います。
「V8時代・V10時代に戻れば」という時間逆行論はただの懐古主義に思えてなりません。

「試合する相手がいなければ競技は成り立たない」という、
最も単純な位置に立ち返れるか、結局はその1点ではないでしょうか。