GT300クラスへの導入が進められるマザーシャーシ、オートスポーツweb等で
この内容の記事を見ると「ISAKU PROJECT」という名前が同時に良く出てきます。
この「ISAKU」、最初は夢のあるお話だったのですが、最近の情報で
とんでもない出来事に巻き込まれていることが明らかになりました。
 何ともコメントしづらい、本当にこういうことってあるんだな・・・と
唖然としたお話です。
なおここに記す内容は基本的に林 みのるが記した内容に即しますので、
客観的事実と反する内容が記載される可能性があることを予め
お断りしておきます。
 
◎「ISAKU」の立ち上げ
 童無の創業者である林 みのるは67歳だった2012年、「70歳で引退するぞ」
と考え、3年間で最後に何かもう1つ成し遂げようと考えました。
彼らは毎年のわずかな利益を使って数年毎にル マン24時間に出ていましたが、
近年は出てもまともに戦える規則でなくあまり意味がないためもうル マンは
考えないことにします。
 彼はまた、近年の規則に雁字搦めで全く美しくないレースカーや、
ドライバー育成に偏り、使用する車両は海外から購入して日本で全く
物を作ろうとしない産業界、自動車メーカーたちをえらく非難していました。
 そこで彼は、どうせならかつての「童夢-零」のようなスーパースポーツカーを作り、
今度こそ公道走行可能なものを生み出して、辞めようと考えました。
厳密には車体そのものではなく、モノコックを作り、そこに外部の人たちが
思い思いの理想を具現化したボディを架装する、というアイデアで、1台は
自分たちでボディまで作る、というような企画でした。
零の無念を晴らし、なおかつ日本で美しい車を作れる環境を作る、という
一挙両得的考えで、彼はこれを「ISAKU PROJECT」と名づけます。「遺作」ですね。
 
◎子会社売却
 彼はこの企画に専念するため、童夢の社長を鮒子田 寛(ふしだ ひろし)に託します。
鮒子田はトヨタ2000GTの72時間スピードトライアルやトヨタ7のドライバーだった
ことで知られる往年の名ドライバーで、林とは同級生でした。
 ただ、この企画成し遂げるにはとてもお金がかかり、かといって事業に
なるかも分からない、というかそう思っていないもので会社に借金を
作りたくなかった林は、子会社の童夢カーボンマジック(以下DCM)を
東レに売却し、その資金でISAKUを進めることにしました。
 DCMはレーシングカーで使う炭素繊維を扱う製造子会社ですが、航空機向けなど
世界的に炭素繊維の需要が高まったため、事業として随分成り立っていたようです。
 特になにか金儲けができるわけでもない童夢にとっては貴重な利益源なので、
それを売るのと借金をするの、どっちがいいんだという気もしますが・・・
 
◎GT300の介入
 それはさておき、開発が始まったISAKUに食いついたのがSUPER GTを
運営するGTアソシエイション(GTA)でした。
GTAは日本車のエントリーが少ないことをどうにかしようと考えていたため、
皮だけ付け替えて様々なレースカーに作り上げれるISAKUをGT300に使用したいと
持ちかけたようです。
 当初林は、レースカー作りには関わらないつもりでしたが、「口を滑らせた」らしく、
だんだんISAKUはGT300マザーシャーシとしての位置づけが大きくなります。
 レースカーとして使える強度を持ち、FRでもMRでも、V8も積めるよう、と
どんどんロードカーとはかけ離れてしまい、ISAKUはマザーシャーシをメインに、
それを流用してロードカーも作れる、というものになってしまいました。
 林としても、前述のように「買ってくるだけレースカー」も嫌いだったので、
まあこれはこれでいいや、という感じだったのでしょう。
 実際GT300に使って取り上げられることで名前は出ますし、宣伝効果としては
悪くないでしょうし、事業性も多少見込めそうです。