【シナリオを書いているあなたへのお手紙 for you】わが身可愛さとエゴイズム
一ヶ月に四百字詰め原稿用紙一枚の丹念さで十年の歳月をかけて描かれたと云う、宇野千代さんの「おはん」と云う小説が好きです。
- おはん (新潮文庫)/宇野 千代
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「よう訊いてくださりました。私はもと、河原町の加納屋と申す紺屋の忰でござります」と云う男の語りで物語は始まります。町の芸妓に溺れて妻子を捨てた男が、七年たって別れた女房のおはんと出会い、人目を忍ぶ逢瀬を重ねるようになります。現在一緒に暮らす、もと芸妓のおかよとも、別れる決心もつかず、少年になったわが子への情愛にも惹かれて、次第に男はのっぴきならないところまで追いつめられていきます。山の中の小さな借家でおはんと愛の巣を築こうとした矢先に、わが子の不慮の死。すべてが終わりになり、おはんは永久に男の前から姿を消します。
わが子の死に際し男は、「へい、みな、わが身可愛さからでござります。へい、私は何もかも承知しているのでござります。ほんに、どのようなお情深い神さまのお心でも、これが裁きのつくことではござりましょうか」と懺悔します。しかし、相手のわが身可愛さに挑み、受け入れるおはんの女性像からは、十年の歳月を要した凄みが感じとれます。
西洋の言葉では「わが身可愛さ」は「エゴイズム」ですが、ニュアンスとして、「わが身可愛さ」からは、煩悩と云う言葉が絡んでくるように思います。「エゴイズム」は、自我主義、唯我主義、自己本位主義と云う意味ですが、「わが身可愛さ」には主義があらわす目的意識とは対極に位置する、どうにもこうにも、しようがない煩悩との、焔まじりの闘いが感じられます。日本人にしか描けない心は大切にこだわりたいものです。
物語の最後、不思議な笑みを浮かべて去るおはん。私はその笑みに魅せられつづけています。<鳩子>