喜劇と悲しみ | シナリオ・センター大阪校 鳩子の日記

喜劇と悲しみ

 喜劇と悲劇は紙一重。悲しいことが可笑しい。悲しみを知っている人だけが喜劇を描ける。ユーモアは教養…等、さまざまに喜劇のヒントとなるテーゼはありますが、本当に喜劇はいちばん難しいと思います。
昔々、ロストラブを経験した幼かった或る日、マティス展を貪るように観たあと、笑える自分がいるかどうか試してみたくなり、丁度上映中の「天井桟敷の人々」を映画館で観ました。笑えました。そして、生きていることの複合性を感じました。

二年前、悲しみに暮れる出来事があったとき、長研のSさんが、「喜劇の芝居を観に行きませんか?」と、メールをくださいました。そのときの嬉しかったことを思い出すと、今でも感謝の気持ちで目頭が熱くなります。本当にありがとう。

笑劇と喜劇の違いは風刺の精神があるか否かだと云います。そして、わたしの経験からは、辛いときでも、悲しいときでも、観て、笑えるのが上質の喜劇ではないかと思います。

それは、悲しみを忘れて笑うのではなくて、悲しみをかかえこみながら、だからこそ、笑えることのたいせつさを、なおさら充実して味わえる喜びでしょうか? 悲しいときに低レベルの笑劇を観たくはありません。避けたくなります。辛くて悲しいお客さんも、観て喜んでくださる喜劇が描けたら、すごいことです。

Sさんは6年間、毎週一緒に勉強した人です。就職が決まり、東京へ帰られます。みんなにさりげなくやさしさと勇気をくれたステキな青年Sさんは、きっと力強く人生を歩んでゆかれることでしょう。そして、いつの日にか、チャップリンにも山田洋次にも描けなかったほどの喜劇を描いてください。ずっと待っています。