「愛している」というセリフ
21世紀、死語となる日本語はたくさんあるそうです。久世光彦氏の『ニホンゴキトク』(講談社)の目次を繰ると、「辛抱・じれったい・冥利に尽きる・できごころ・うすなさけ・邪慳・夢ん中」他が記されています。「惚れた」の感覚が少なくなり、「愛している」というセリフがドラマで頻繁に使われるようになったことと近いことのようです。
従来の日本語の「愛」という言葉は仏教的な意味から、執着する、貪るといった否定のニュアンスが強かったそうです。「色」を恋愛ととらえていた男尊女卑思想故かと思えます。
「愛」が、今日のような肯定的な意味に変化したのは、聖書の翻訳が契機であったそうです。文章としての「愛」に違和感はないものの、セリフとしての「愛」には、空々しさを感じます。崇高なこの言葉をおいそれと口に出すことにはストイックになり、有り得ないのではないかと思い、結果的には英語を日本語に訳し、そのまま抵抗なしに使っているデリカシーの無さを感じてしまうのです。
若い人は普段「愛している」と言うのでしょうか? 多分言う人は少ないと思うのですが、一度、伺ってみましょう。さりとて「惚れたゼ」なんてセリフを現実の生活で言う人も、いよいよ少ないでしょう。しかしドラマではキャラクターによってOKです。そこがフィクションのむつかしさです。さすれば「愛している」もOK。有り得ないセリフだからこそ、陶酔して聞いてみたい、あのスターに言わせたい、それもドラマの効役です。
ただ、もし無神経に一行の「愛している」というセリフを書くのなら、「どのように愛しているのか?」を丁寧にエピソードとして考えて頂きたいとは思うのですが…。