練功の結論に達してから どの位の時間が経ったか?
あれから1000時間位は練功を重ねただろうか…

どうあれ 答えは変わらない
ただ待つだけ

気が満ちるのをただ立って待つ
満ちたら気が動き出すのを待つだけだ

自分を放棄して ただ立つ
虚空に身を委ねてじっとしてるだけだ
体の動きだけではない
心の動きも同様だ

自然と気が動き出すのを待つ
自分が動かすのではない
自分が動くのでもない
気が それ自体が何らかの法則に従って動くのだ


私はそうやって何年か待っていた訳だが
なるほど 私が言っていた事はことごとく正しかった

これは何も気功の練習に限った話ではない
人生そのものも実はそうなのだ

自分で人生を改善しようとする姿勢は立派だが
実はそれ自体が我そのもので
幾ばかの成果を得る事もあれば 失敗に終わる事もあるだろう
実はそうではないのだ

自分が動くのではない
自分は何も変わらず環境の方が動き出すのだ

私は自分を放棄してただ待っていただけだ
それからしばらくして 環境が変わった
天の意志としかいいようがない

天は 自分の変わりを人に求める

天が選ぶ人間とはどんな奴か?

それは素直な奴だ
与えた事を文句も言わずに淡々とやっている奴だ

見渡してみたが人格とかはほとんど関係ないらしい

自分を放棄して淡々とやるべき事をやっている奴がそれだ

瞑想だの気功だの禅だのの本当の価値はここにある

自分を放棄して静寂の中でじっとしていてはじめて 天意と言うものに触れられるのだ
それをやるやらないは人間の側の問題だ
しかしそれには時間がかかる
想像以上の途方もない時間をかける必要がある

私はあなた方の人生に責任を持てないから あなた方にはおすすめしないけどね

無為の時間を無駄に過ごす覚悟がなければこの道は決して成道しないだろうから…

古の賢い人たちはそれを知っていたのだろう
日本にも三年寝太郎の昔話があるが
あの故事はこんな事を物語っている訳だ

常識的に考える人達には決して分からないtaoismの真実が
こんなところにある
そうだよ

そして止観とは本来 止と観に別れていてはいけない
と昔の仙人は述べておられたそうな

今はっきりと認識する事は
つまり観とは 自分の思考や感情をどれだけまったくの他人として観察出来るか?
と言う努力だ

究極 自分にすら捕らわれないある一つの感情に達する為に
一番大切な事は待つと言う事

気が満ちるのを待つそれだけ

満ちたら気が動き出すのを待つ
それだけ

待つ事が最重要