桜が、はらはらと散り始めています。 さあ、この桜がみんな散ってしまわない

うちに、遠い日の文学のことなどに思いを馳せてみましょうか。



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  清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みな美しき

と詠ったのは、人も知る、与謝野晶子。

  やわ肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君

これもまた、人口に膾炙している彼女の歌。彼女の大胆な恋愛賛歌に胸がときめ

くのは、当時の若者たちだけではないだろうと思う。けれど、封建社会の因習・

感覚を引きずっていた明治という時代にあっては、それらの歌がどんなに革命的

に響いたことか、当時の人々の心の震え・血潮のたぎりは想像するに難くない。


明治20年代半ば、文学は北村透谷によって、「現実の模写」を超えて宇宙の精

神につながる「想」の世界に開かれ、自由になった作家の精神は、文学の中にの

びのびと自我(感情)を開放し、恋愛や自然・異国・古代への憧憬といった抒情

的作品を生んでいった。それが、明治30年代に一世を風靡した浪漫主義だ。

泉鏡花・国木田独歩・高山樗牛といった小説家にも浪漫主義の傾向は窺えるけれ

ども、浪漫主義が抒情を旨とする性格上、その表現土壌は詩歌のほうが適してい

たようで、代表的作品・作家は詩歌の世界に多い。

浪漫主義のベスト3は、与謝野晶子・島崎藤村・土井晩翠 だろうか。

高村光太郎・石川啄木・北原白秋・木下杢太郎・田山花袋 なども初期には浪漫

主義に足を浸していたようだが、やがて様々な文学的潮流にさらされて、各々の

資質にふさわしい表現形式に落ち着いていく。

島崎藤村も、浪漫詩を書いたのはごく初期の数年にすぎなかった。けれどもその

数年に、「若菜集」「一葉舟」「夏草」「落梅集」と相次いで出版し、日本近代

詩の黎明を告げる詩人となっている。 


しかし、日清戦争(明27)後の社会の動揺と、日露戦争(明37)による混乱、

社会主義運動の興隆といった現実は、人々の目を否が応でも浪漫的夢想から現実

の生そのものに向けさせていくことになったようだ。深まる社会問題の中で、妻

子を抱えた浪漫詩人たちも現実と向き合わざるをえなかったのだ。

そのころ輸入紹介されたゾライズムをきっかけに、日本文学は自然主義へと急転

回し、日本式自然主義というものが築き上げられて、その後永く文壇に君臨する

ことになる。 藤村も自然主義の風が吹き始めると詩筆を折り、その後は自然主

義の小説家として再生していった。

そうしてみると、浪漫主義はわずか10数年の間、人々の魂を狂おしく魅了して、

自然主義の風に儚くも散っていった、まるで美しい桜のような文学だったではな

いかと思う。

けれど、浪漫主義は散り去ったからといって、その残された作品の価値が無くな

ったわけではない。どころか、彼らの謳いあげた詩歌は、その後の長い歴史の風

雪に耐えて人々の心に生き続け、現代においても知らぬ人のないほど親しまれて

いるのだ。

  島崎藤村 (初恋)

     まだあげ初めし前髪の
     林檎のもとに見えしとき 
     前にさしたる花櫛の
     花ある君と思ひけり
     やさしく白き手をのべて
     林檎をわれにあたへしは
     薄紅の秋の実に
     人こひ初めしはじめなり

 なんという、やわらかく、優しく、快い響きを持った詩だろう。そして、みず
 みずしい生命感にあふれている。


  土井晩翠 (荒城の月)

     春高楼の花の宴
     めぐる盃かげさして
     千代の松が枝わけ出でし
     むかしの光いまいずこ

 叙事詩的で、漢詩ふうの哀調がなんとも美しい。詩句に従順につけられた曲の
 メロディーが耳に蘇る。

こうした浪漫詩は平成の今においても、私たちの胸底深くに潜んでいる、人間の

魂の生き生きとした躍動や、美への憧憬を呼び覚ましてくれる。

ただ、その感動は、封建の楔から人々の魂が解き放たれたという、古き良き時代

のものであるからこそ、我々に訪れるのであり、現代作家が、いささか解放され

すぎた感のある現代社会において浪漫作品を書いたなら、きっと鼻持ちならない

ものになるだろうとも思う。つまり、文学の流行り・廃りは、時代とともに変遷

していくということだ。


では、現代に迎え入れられている文学は? 

さしずめ村上春樹流の <なんとなく共感> 文学だろうか。

して、この次は?

明日を開く文学は、もっと別の方角から、もっと確かな姿で、やって来るのでは

ないかと私は思っている。