スケアクロウズのヒストリー | スケアクロウズのブログ

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スケアクロウズという
ブルースロックバンドの
ブログです。

ヤーどうも、スケアクロウズMittsuです。
今年もあと2ヵ月と少し、みなさんいかがお過ごしでしょうか?



今日はスケアクロウズの長い長いヒストリーをみなさん聞いてください(イヤだと言ってもやりますから)。



いろんなバンドを渡り歩いてきた俺は、もうバンドは辞めようと思ってました。1990年の夏頃のことです。


土曜の夜、ちょうど休みだったのでイカ天という番組をベッドに寝転がって観ていた。


そこにブランキージェットシティーが出演していたんです。


俺はまさに度肝を抜かれました。

1人はロカビリーの格好してるが、あとの2人は長髪でニューヨークヤンキースのユニフォーム着ててまるでハードロック演るようなイデタチだ。


オオ?全員が刺青を入れている。

俺が知りうる限り当時、刺青を入れた日本のロッカーは
モッズの北里さんとARBのキースさんだけでした。


なんなんだこのバンドは?


しかも曲が凄い。まるで自分たちの音をぶつけ合ってるようだ。俺にはそう感じたんです。

ブランキージェットシティーはあっという間に5週間勝ち抜いてメジャーデビューした。


ああ、もうダメだ。もう一度、自分のバンドをやろう。そう決めたんです。


1990年の秋の終わりに俺はスケアクロウズを結成しました。ガキの頃から自分のバンドはスケアクロウズという名前に決めていたんだ。


俺の記憶違いもあるかもしれないけど
メンバーの変遷をイニシャルで記します。


第1期
俺(ギター、ボーカル)
I (ベース)
K(ドラム)

前にも書いたけどIとKは全くの素人でした☠️   でもようやく自分のバンドがやれて俺は本当に嬉しかったス。およそ2年活動しました。

第2期
俺(ギター、ボーカル)
I (ベース)
Y(ドラム)
何故メンバーチェンジしたのかはここでは言えません。たぶん1年ちょっと活動しました。

第3期
俺(ギター、ボーカル)
I (ベース)
A兄(ギター)
A弟(ドラム)す
何故メンバーチェンジしたのかはここでは言えません(2回目)。
このメンバーではじめてライブハウスに出たんです(横浜の7th アベニュー)。


第4期
俺(ギター、ボーカル)
カズ(ベース)
A兄(ギター)
A弟(ドラム)

Iが結婚と転職でバンドを脱退しました。俺は安い赤いベースを買って弟のカズをスケアクロウズに加入させたんです。

第5期
俺(ギター、ボーカル)
カズ(ベース)
チバ(ドラム)

A兄弟が自分たちのバンドをやる為、スケアクロウズを脱退しました。チバちゃんがドラム叩けることを知っていたのでスケアクロウズに誘ったんです。約11年間一緒に活動しました。

チバちゃんが一身上の都合でバンドやれなくなったので

俺(ギター、ボーカル)
カズ(ベース)
A兄(ギター)
A弟(ドラム)

このメンバーは第4期と同じです。ただA兄のギターがエレアコからヘビーなギターに変わりアンプもマーシャルモードⅣになりました。
4年間一緒に活動しました。

そしてもう一度
第5期と同じメンバーで5年活動しました。
俺(ギター、ボーカル)
カズ(ベース)
チバ(ドラム)


2年前の12月にカズが脱退しました。


第6期
俺(ギター、ボーカル)
チバ(ドラム)
ハマダ(ベース)

去年の8月、ハマダ君が名古屋に転勤になりバンド活動が難しい状況になりました。俺はこのメンバーで最後にもう一度ライブやりたかった。それがライブハウスや誘ってくれた人達との約束でもあったし。でも、どうにもならなくて今年の1月の2回のライブは一人弾き語りをやり、若いリズム隊のハジメ君とヨウヘイ君にヘルプしてもらって吉祥寺ブラックアンドブルーに出ました。




今年の2月、ヒデキロボ君とテペペ君と一緒に第7期スケアクロウズになりました。


こうして振り返ると色々あったなー。


長いことやってきて、いろいろあったけど
ヒデキロボ君とテペペ君がMittsuさんと一緒にやりたいと言ってくれたのは嬉しかったな。


そんな俺たち スケアクロウズ

いくつかオファーいただいています。

少しお待ちください。


ではまた!