新潮の新書で出ている養老孟司さんの本のうち、とりあえず「バカの壁」と「超バカの壁」を読んでみました。

バカの壁はもう言わずともしれたスーパーベストセラーで、どうして今まで読んでいなかったんだろうか、と思ってしまったくらい素晴らしい本でした。でも、これがメチャメチャ売れるということは、いかに私達日本人が偏った見方しかできていないか。視野の狭さや価値観の狭さ、固まった固定観念ガッチガチで生きているということを、販売部数で証明しっちゃった感があるなーっと(笑)泣き笑い

まあ、でも人間ってそんなものですもんね。知りたくないことは目をつぶってしまうし、軽い口であ!それ知ってるーって言ってる割には浅い知識しかなくて、本当の「知っている」という領域に達していなかったり。。。人間って都合のいいものです笑い泣きてへぺろ


私はこの瞬間、南イタリアに用事があり、滞在中なのですが、イタリア人も、(いや、イタリア人は日本人以上に)自分の都合よく話を曲げるし、嫌なことは本当に興味なさそうにききます。正直、自分の利益だけ考えやがって、相手の都合や利益は考えない。あ、ディスりすぎるといけないのでもうやめときます。言い方が乱暴になってきた、自粛無気力驚き


人間ってそんなものですよね。新しい世界を見るのはエネルギーがいるけれど、その汗と涙の結晶は、いずれ自分の視野の範囲を広げて物事を多様な角度からみられるようになるし、まわりで起こる様々な事態にも柔軟に対応できるようになりますよー!そんなメッセージを私は「バカの壁」から受け取りました。


「超バカの壁」のほうは、もっと我々の身近にある具体的なトピック、例えばニートとか、少子化とかを通して養老さん自身の思うものの味方を思う存分お書きになっている印象で、「バカの壁」よりも養老さん自身の世間の見方や考え方が強く出ている本だったかな。私は断然「バカの壁」の方が強烈に残りました、本当に素晴らしい本です。


「超バカの壁」の中の1つの章に心の問題というテーマのさらに小テーマに震災と戦争のPTSDという内容があり、そこに、スエンソンの江戸幕末滞在記の一節が紹介されていました。


実はこの本、おそらく10年前くらいに読んでいて、今も持っているので、いつか再読して、このブログのネタにもってこいなので、紹介しようと思っています。


スエンソンはデンマークの人で、確かドイツだったかオランダ船で日本にやって来た軍人さんだったと記憶しています。すみません、かなり前の記憶すぎて曖昧すぎますね、泣き笑いデンマーク人なのははっきり覚えてます。

彼の本はもう一度私が再読した時に紹介するとして、養老さんは、この幕末滞在記の中の


日本人はいつに変わらぬ陽気さと暢気さを保っていた。不幸(自然災害)に襲われたことをいつまでも嘆いて時間を無駄にしたりしなかった。持ち物をすべて失ったにもかかわらずにである。


という一節を取り上げておりました。正直な話、私は全然思い出せません(笑)全然忘れてるね😅


スエンソンさんが見た日本人は良くも悪くも「水に流す」ことで、次(未来)を見据えていた。現代の日本人は、水に流すことを忘れ、不幸が起きれば誰かのせいにしたがる、責任を探し出してその戦犯を探さずにはいられない。裁判沙汰も多いし、つまらないことにもいちゃもんをつける。そんな寛容度の低い、そしてどこかにストレスをぶち撒けないと気が済まない国民になっていないかと警鐘を鳴らしていました。

私はこれに関しては正直、メチャメチャ賛成で、この傾向は、今現在滞在しているイタリアでも同じことが起きているという事を、イタリア人の人からかなり聞きました。世界的に生きづらい、みんなどこかに毒を吐出す場所を追い求めているんだけど、見つけられずに人に当たっているんでしょうねーネガティブ


もちろん、江戸時代と現代では、同じ国、国民であれ、価値観は、少なくとも全く同じとは言えないので、行動は違って当然とは思うのですが、明らかに行き過ぎた行動っていうのは時々ニュースや自分の目の前で起きたりしますもんね。


養老さんの本を読んでいて再確認させられて、自分の確信になったことが1あります。

「何事も極端に偏った考え方はあぶないよ」

これです。養老さんは一元論という言葉で書かれていましたが、1つの固執した考え方だけで生きるのではなく、他人の持つ世界を理解し、自分がどう思うかは別として、そういう考えもあるのかと知っているだけで価値がある。もう首を何度縦に振ったことか。まさにその通りだと思います!!


北欧諸国がよく出す「多様性」の概念にも繋がるんではないかと思います。ダイバーシティ、みんな違ってそれでいいんだよ。素敵じゃないですか!!ドキドキラブラブニコ個人単位でも、コミュニティまたは国単位でもやはり視野を広げるというのは大変な作業だけれど、みんなが人間らしく生きるための他者、他国の理解を深めることの重要性も同時に考えさせられました。


北欧の話、あんましてないな、今回(笑)まあいいや笑い泣きてへぺろ