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雨が上がる寸前の山波のうつろいは魅力的だ。

三時のお茶の前、急に明るい日差しが差し込んでくる。
見渡す山波は雲のカーテンが上がろうとしている。
雲をまるごと帽子にしている山もある。
山と雲との協奏曲はダイナミックなステージで繰り広げられていく。

目の前の雨で洗われた楡の木は、たゆたゆとして枝を遊ばし、
水滴を光らせて、気持ちよげに日差しに遊ぶ。


魅力的な「カリブの国々」一気に読み終わる。

ブルーオリンピック選手団団長の大崎映晋氏は
カリブ海に潜った感動を綴っていた。
―――――海は光に溢れ、
その美しい色彩はとてもこの世のものとは思われず、
沢山の魚族は、みなそれぞれグループを作り、群れ遊んでいる。
これ以上素晴らしい世界が、ここをのぞいては、
もうどこにも見い出すことはできないように思われる。
人間を最も残忍な動物と知らない彼等は、珍しそうに集まってきて、
たちまち魚のカーテンで私達を取り巻いてしまう。
イセエビやシャコ貝なども手をのばせば、いくらでもそこにあった。
カリブ海のオオシカツノサンゴの林や、うす紫のウミオウギの間をぬって、
私達も魚になって一緒に泳いだ。
人間社会のことは、遠い世界の出来事となり、
カリブ海の海そこで呼吸をしに水面へ返らねばならないことも忘れてしまうほど、
もぐり続けた。
私達の肉体を構成する細胞のどれかが、遠い祖先の、
人類がまだ水棲動物であって、海底を泳いでいた頃の、
個体細胞の記憶を蘇らせているのではないかと思うほど、
空気の世界を忘れてしまっていたのである。―――――




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地球上のあらゆる物を優しく洗い流してくれるような穏やかな雨。
木々は両手を突き出して雨を楽しんでいる。
窓ガラスに滴のアートが展開されていく。
雨の日の目覚め読書は、更にゆったりとした幸せな時間に浸れる。

「メキシコ・カリブの国々」、何と楽しい本だろう。
感動し、納得し、学びながら世界音楽の旅をする。
メキシコ人は如何にも気楽でテキーラ酒を飲み、ギターを弾き、
闘牛を連日楽しんでいることくらいしか知らなかったが現実は違うようだ。

――――メキシコは生活の厳しい国だ。

メキシコ人たちは貧しさと闘って生きている。
だから激しい他の一面があるのだ。
例えば、呑気そうな歌手が、ひとたび歌をうたい始めると、
胸に迫るような悲痛さをかもしだす。
小肥りの間抜け面に見える女が踊りだすと、緊迫した迫力を出す。
陽気でおしゃべりの画家が画筆をにぎると、
原色のエネルギーのほとばしりで、カンバスを埋めつくす。
こうしたメキシコ人の二面性をみなければメキシコは理解できない――――
また、「メキシコは原色の国である。
この原色の色彩のように、はっきりと鮮やかな感情を持っている。
貧しいものも貧しさに萎縮しないで、華やかに歌ったり、踊ったりする。
それがメキシコ人の素晴らしいところだ。生活の苦しさ、
貧しさの連続のたむに暗いベシミズムを持っていても、
彼等はお祭その他で輝かしい時間をも創造してしまう民族だ。」

なんと魅力的な国民性なのだろう。
メキシコの内面を知っていくと、
社会制約の枠で生きていることが急に窮屈に感じる。
読みいくうちに旅心をそそられる。




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「一時一事、一事一心」
時々、刻一刻と命の育みが何と素晴らしく神秘的であることかと、
その不思議さに畏敬の念をあらためて深く感じる時がある。
「思いの深さ」でもっとこの素晴らしき人生を感じ入るのだろうと思うと、
ワクワクと感動に奮える時がある。
命の伝達の、今 ここ を、バトンを受け生かされている。
亡き松原泰道禅師は仏教の教えの神髄は「上求菩提、下化衆生」の一語。
自己の人間性を高め、少しでも人の為に出来ることをやっていこうと思う。
学びに尽きる。
今日も秋空と揺らぐ緑に癒されて机に向かう。


黄昏の柔らかい光に誘われ、海までのプロムナード。
静かなゆったりとした波の音は単調に無限に繰り返されている。
地球の心臓の音なのでしょうか。
太陽が沈まんとする雄大な神の芸術に満たされて、
地球の心臓(波の音)も安らかだ。

ピンク色に染まろうとする波打ち際近くに腰を下ろして、無心に自然を聴く。