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「工場」は売れる「製品」を作る部署なのだから。それは傲慢というものだ。 いわゆる文芸誌は純文学雑誌と見なしていいのだろうが、近年では純文学は「不良債権」で、文芸誌は「メセナ」(文化の保護)だとか「工場」だとか、散々な言われ方をしている。ポインRMTトは、「藤野さんご自身にとっての正確さ」である。 しかし、勘違いをしているのは文芸誌だけではないようだ

特に新人。「保護」されることに甘んじているか、「保護」されて当然だと思ってはいないか。少し前に見たある文芸雑誌のピンクの表紙。工場はコストだけがかかる部署である。「勘違い」が形になっていた

藤野可織が大学院で学んだことを踏まえて、堀江敏幸は「論文の書き方で学ばれた、藤野さんご自身にとっての正確さを、自分の言葉で正確に書いているからこそ、小説ではそれが不透明な正しさとして機能している」と、慎重に言葉を選んで述べている。。「売れる小説を書きなさい」と言いたくなる。小説家も「文学」を高尚な「芸術」だと思い込んで、あるいは意地悪く言えば、そういう「高尚な文学」を書いている自分に陶酔して、売れないことや理解されないことが高級だと思っている人が多すぎるように思う。 芥川賞受賞作家?藤野可織が堀江敏幸と対談をしている(「この世界を正確に書きうつしたい」文学界)

 この中でちょっと気に入っているのは「工場」という比喩だ。「正確さ」が無前提にあるわけではない。たまに芥川賞受賞作が出ると、その本が10万部単位で売れることだけが出版社にとって唯一の救いだろうか。その工場で作った製品が儲(もう)けを生み出すのである。だからいまの時代、文芸誌それ自体で儲けようとすることは、とてつもない勘違いなのである


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