1月16日(金)


今日は、太郎君の7回目のお誕生日です。

今まで、太郎君とその家族を支えてきて下さった皆さん、読んでいて下さったら、お伝えしたいです。太郎君は、元気に、健やかに、7歳になりました。どうもありがとう。


パパはダラスへ旅立ってしまったけれど、スクール・バスのお仲間と、飛び入りで花子ちゃんのお友達も参加してくれて、子供総勢11人の賑やかなパーティになりました。


太郎君のお誕生日になるとしみじみ思いだす言葉そして人々がたくさんあります。

最初の立ち上がりを助けてくれた言葉、インターネットで見つけたのですが、

「もし、自分の子供が交通事故にあって突然障害を負ったら、親は何としてでもその子を支えようとするでしょう。ハンディを持って生まれた子供は、その事故がお腹の中で起きただけ。」

それから、職場復帰のチャンスを与えてくれて、自分は「障害児の母」としてだけ生きていかなくてもいいんだと、心の余裕を与えてくれた上司の言葉。

「よい組織というのは、あらゆるバックグラウンドを持つ人を、その人なりの加わり方で吸収していける組織なんだ。仕事をやりたいなら、ここでやりなさい。」

この上司は、お固い他の管理職を説き伏せて復帰させてくれたのに、その2年後に渡米が決まって退職の相談をした時には、

「誰かの犠牲になれる人生というのはいいものなんだよ。」

って気持よく送り出してくれました。

そして、「恢復する家族」の中の大江健三郎氏の言葉。「仕方がない」。

決して、消極的な言葉ではありません。ハンディのある子が生まれたとき、ほとんどの親はまずその事実を「拒絶」する、ハンディとともに子供のすべてを「受容」することができるまでには時間がかかる。「受容」が終了すると、「仕方がない」と言って親は静かに立ち上がる。実は、その子供自身も、そのハンディを背負って、「仕方がない」と、勇敢に地上におりてきたのである。図書館で借りて一回きりしか読んでいないので都合のいい解釈かもしれませんが、あの「大江健三郎」氏でさえ、凡人たるscamamと同じ過程を経て、光君を受け入れたのだと、ホッとしたものです。


数ある「障害児」をめぐる示唆に富んだ言葉の中から、自分の都合のいい言葉だけを選び出し、あんまり深刻ぶらずに、太郎君の成長は太郎君のペースに任せることにした結果、先日受けた評価は、「過度な干渉による一種行動障害的な面は全く見られず、潜在能力は非常に高い。が、しかし、今のところはbaby。」という結果に。すくすくと元気に素直に成長してくれたことに感謝しつつも、誕生日を機に、これからは少し、締めるぞ、と決意を、いや、新年にもしたような気がしますが、また新たにしました。


今や根雪となった裏庭の専用スロープで。元気ですよ~。
米国東海岸子連れ生活日記

普通はパーティのあるお家の外に置く風船ですが、寒さで外ではガスが凝縮して風船がくしゃっとなります。

風船やさんに説明されたとき、最初は何言ってんだか分んなかったです。
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この日は、日本人学校の餅つき大会もあって大忙しでした。本当に、ここは、日本だなぁ。
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