顔面麻痺になっても・脳梗塞になっても・乳がんステージⅢbの告知を受けても笑顔だった訳
いつもありがとうございます。
小学校2年生の9月 何度もトイレに行くことを不思議
に思った両親が、近所の病院に連れて行ってくれました。
すると、大きな病院にすぐに行きなさいと言われ
大学病院に行くと、即入院となりました。
一人っ子だった私は、母と離れるのが辛く泣き通しでした。
そこで、母の妹が看護師をしている病院に転院し・・・
ずっと 付き添ってくれるようになり 子供心に
とても嬉しかったのですが
今では 考えられない体制の病院で、小児科で小さい
ベットを、真夜中でも どんどん 急患として入れて
来るのです・・・結果・・・その場で無くなる子供も多く
死というものが あまりにも 早く 驚くだけで
こんなに身近にある物だと 思って入院生活を送って
たのです・・・
その後、ネフローゼ症候群に対する治療が、ステロイド
の薬とわからない注射をおしりに毎日打たれ続け・・・
とうとう 骨が弱く 起き上がるのが出来なくなって
しまったのです
咳をすると痛いので、母を呼んでバスタオルで腰をベット
に乗って抑えてもらったり・・・
食事も無塩に近くて 美味しく無く・・・
だんだんと 病状が悪化して
4人部屋の隅に移動させられました。
その部屋からは、ほんの少ししか空の見えないくらい部屋で
お年寄りの末期の方だけが 入ってくる病室だったのです。
カラスの声だけが1日に何度もしてる
ちょっと不気味な病室でしたが・・・
ただ その現状を幼心に 静かに受け止め 少しでも
明るくいようと していたようです・・・・・
その後 その病院の師長さんから、
「ここにいたらお子さん 足すからないですよ。
転院を考えて見て下さい」 と異例な言葉をもらい
父がネフローゼ症候群のドクターの話を聞きに行き、その先生
の病院へと転院したのでした。
その時の事は・・・介護のストレッチャーの車に乗って
移動した風景は 良く覚えています・・・
そこで、小学校5年生の終わる春に退院する事が出来ました。
寝たきりが長かったので、地面に足が付けられずに
高いサンダルからリハビリを半年くらい行って 歩けるように
なったのは 嬉しかったです。
この病院でも 仲良くしていた子達との 悲しすぎる別れも
あり、生きる事って 凄い事だな と 当時 考えるように
なり、ますます ポジティブな心が身についたと思ってます!
では・・・笑顔のある毎日を!!!