今日は2011年3月11日東北沖大震災のあった日で

最近、あちこちで群発地震が起きるのを感じていて

他人事ではなく、不安定な土地の上に建物を建てて

住んでいるのを意識するようになってきた。

 

私は、春日井市(東春日井群)では

明治24年発生した濃尾地震での被災が

最も大きかったと思い込んでいた。

 


私の幼少時代に、大正生まれの祖母から

「1923年9月1日発生した関東大震災が相当な揺れで

 家が倒れると思って怖かったけど、あれ以来、

 地震が大嫌いで怖くていかんわ」と聞かされていた。

 

関東大震災は、関東地方で発生した大地震で、

祖母の住む東春日井群(春日井)地域は震度4程度だった。

 

 

ヒマワリ        ヒマワリ         ヒマワリ

 

 

1969年9月9日美濃中部地震震源の深さ20m、M7

畑佐断層、左ずれ

 

wiki

 

(昭和44)1969年9月9日妹が生まれて3日後の

母が病院に入院中、家事や私達の世話のために

祖母が家に寝泊まりして干した布団を取り込み中に

美濃中部地震が起きて、結構、家が大きく揺れた。

その時も震度4程度だったと思うけども大きかった。

 

祖母が右往左往してパニックになってしまい、

「外に逃げろ、座布団はあるか?

 頭に座布団をのせなさい~、怖い怖い!」

いつもは落ち着いた祖母が大声で叫びながら

腰が引けてしまい、頭に枕を乗せて怯えて震えていた。

 

私は、最近まで祖母の記憶が唯一だったので

愛知県でも関東大震災が一番大きな地震と

思い込んでいた。

 

 ヒマワリ         ヒマワリ        ヒマワリ

 

えいしゅう博士の地震について動画を見始めてから

自分でも、南海トラフについて調べるようになり

そういえば!と、気づいたことがあった。

 

 

 

 

 

私の両親が誕生後に発生した戦時中の地震で

1944年12月7日東南海地震M7.9 東春日井群震度5程度

1945年1月13日三河地震M6.8  東春日井群震度5程度

 

いろいろと資料を調べてみたところ、

愛知県春日井市付近は震度5程度の揺れだった。

 

あきらかに、関東大震災よりは震源が近くて大きいのに

祖母も父も母も、この地震のことは知らないし

震度5の地震を経験した記憶がないようだった。

 

この地震について、

当時、愛知県に住んでいた人達のあいだで

どれほど知っていたのかな?と思う。

 

隣近所のお爺さんお婆さんも、

戦時中に大地震があったなんてことを

口にする人は出会ったことがないし、

そんな話を聞いたことがない。

 


 

戦時中に怖い思いをしたことの全ては、

敵機の爆撃による空襲と思い込んでいて

防空壕に逃げ込んだと話していた。

 

大地震も空襲と思って防空壕に逃げたんだろうか?

揺れで防空壕に閉じ込められなくて良かったと

今になり、そう思う。

 

なぜ、愛知県に住む人の多くは、

戦時中の1944年と1945年に、

東南海地震と三河地震が発生して

震度5~6の大地震だったにも関わらず

まったく誰も知らなかったのかなと、、

最近になって、おかしいなと気づいた。

 

 

 

最近気づいたこと

 

 

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