1875年―1876年 ラ・ジャポネーズ

 

 

 

 

19世紀後半にヨーロッパではジャポニズムのブームが起きた。きっかけは1867年幕府、薩摩藩や佐賀藩が非公式に第2回パリ万博に参加したことだった。

 

この時、日本代表団としてシーボルトJr(長男)、徳川昭武、会計係として渋沢栄一も同行していた。(総勢25名、留学生を含め帰国時32名)

 

この万博では、日本の三人の芸者がコマまわしをしたり、キセルをふかすなどの姿が珍しがられた。また、高橋由一・宮本三平らの油彩、北斎・国貞・芳幾・芳年らの浮世絵、銀象牙細工の小道具、青銅器・磁器、水晶細工などが出品された。

 

1867年パリ万博10月31日に閉幕した後の

1867年11月9日大政奉還(政権返上)。

 

その8年後1875年にクロード・モネの

「ラ・ジャポネーズ」は描かれている。

 

モネは、北川歌麿、葛飾北斎、歌川広重などの浮世絵を231点所蔵していた。この絵のモデルは、最初の妻カミーユ・ドンシューで、このモデルをした3年後に若くして亡くなった。

 

描かれている着物は歌舞伎衣裳か、遊女の打掛、または花魁の衣裳の可能性を指摘している。