春日井市春見町公園にある戦没者殉国碑
4年前の2014年8月17日にブログ記事について、
今朝odorokikent様からコメントで問い合わせを頂いた。
odorokikent様コメント
記事の内容、大変参考になりました。
ありがとうございました。
私の記憶では、この殉国碑の揮毫は東条内閣での
閣僚経験もある岸信介でした。
この碑は昭和に入ってから建てられたと思われますが、建立の目的は何だったのでしょうか。
やはり、国威高揚が目的だったのでしょうか。
関心を持っていただいて、ありがとうございます。
この殉国碑が、いつ、どのような目的で、
誰によって建立されたのか。
返信させていただきます。
市役所教育委員会文化財課に問い合わせて
調べてもらいました。
春日井市春見町に戦没者殉国碑が建ったのは
1959年(昭和34)8月でした。
、
あちこちの村に戦没者を弔う慰霊碑などがありましたが、終戦後に市内の開発が進むうちに、墓や慰霊碑などの取り壊しも進みました。
この地域に住む明治以来、昭和の第二次世界大戦まで亡くなられた方々の栄誉が市町村開発で途絶えてしまうのは大変に遺憾という思いから、昭和34年第4代春日井市長の梅村義一氏(1955.5-1967.4)が中心となり建てられたということです。
国威高揚というよりは戦没者の方々を弔い、戦争が起きて多くの国民が犠牲になった過去を忘れずに永い平和を願う慰霊碑です。
私も幼少時代に、いつもこの公園で遊んでいましたが
大人からは、この塔には近づかないようにと言われてきて、何のためにここに塔があるのかを知らずに育ちました。
今回、お問い合わせいただいたことで、はじめて
市に問い合わせをして知る機会を得ました。
ありがとうございました。
昭和34年頃春日井市ことぶき町 中央通り
正面突き当りに国鉄春日井駅があった
H25頃 上画像と同じ場所 ことぶき町中央通り
S47頃 春日井市立八幡小校舎からの景色
市役所教育委員会文化財課調べ
春日井市立八幡小学校は昭和27年篠木小学校の
分校として創立。
下原新田に八幡村という地域があり、
その地名が八幡小学校の由来となっているらしい。
八幡小創立後の昭和28年に春見町となったが、
その当時は松林があるだけで、北に向かう
1本道ぐらいしかない地域だった。
昭和34年現在の鳥居松町に春日井市役所が
移設されてから、鳥居松町周辺が春日井市の
中心として栄え始めた。
そうそう、、、
うちの父も、ちょうどS34年頃に鳥居松町の地主から
ことぶき町に土地を借りて家を建てて住み始めた。
その後、地主から土地を返却するか買い取るかと
圧力をかけられてそこに住めなくなり
私の小学校卒業まで待ってもらうように頼み込み、
S49年秋に慌てて引っ越した記憶がある。
当時、八幡小学校と行政の結びつきが濃かったので、
恩恵があったと思うし、篠木小学校区の子供達が
大勢、越境通学してきていたし住みやすかった。