三洋電機

もうそろそろ皆さんの記憶の中から消え去ってしまいそうな家電メーカー。

 

かつて青春時代を鳥取で過ごし、その恩恵を十分に受けてきたメーカーである。

30歳にして当時の会社を首になり、派遣人生をスタートさせたその一発目は基盤のチップマウンターのオペレーター、担当はサンヨーのファックスの基盤だった。

DOSのプログラムで稼働するそのチップマウンターの切れた部品を交換し、リフローから出てきた基盤を目視チェックするその仕事は、それから何年かの派遣人生を決定した。

派遣ならではのトラブルで辞めて、その次に行ったのが三洋エナジー岩美工場。

リチウムコイン電池のセパレーター直しというピンセットで行う細かい作業。

ドライルームという水分の無い室内作業、マスクが必須でかなり特殊な環境だった。

暫くして筒形負極の製造とはいっても狭い室内の隣の機械のオペレーターになった。

そして暫くしてまた首になって(派遣ですからちょっとでも気に入らないとチョンでした)

またこの三洋電機の電池屋さんのお世話になったのが、淡路の夜勤のみの作業。

夜勤だけという特殊な作業でひたすら電池をパレットに詰める回転数勝負なお仕事。

半年足らずで首になりました^^;回転数低いはちゃんと詰まってないんで炉内で電気通らない率が高かったんじゃあまあしゃあないですよ。ただ給料はやけによくて手取り40万でした。

おかげで自作PC1発目を組めたのですからいい思い出です。

まあ目覚めるまではただの走り屋の兄ちゃんでめちゃくちゃチャランポランでした。

 

 

 

どうかまだ細々と繋がっている三洋を温かく見守っていただきたい。

そしてもうこれ以上役人の売国やテロでここに努めているたくさんの罪のない人々の運命が左右されるようなことが、どうかこれ以上起きませんように。