https://youtu.be/AWtvQPmCVsk
先日、湊川神社の楠公会館にて行われた、こころの党タウンミーティングに参加した。
前日、朝日前で街宣して、そのまま大阪に泊まり、神戸湊川神社にお参りしてから、会場に入った。講演の登壇者は、杉田水脈前衆議院議員、西村慎吾前衆議院議員、そして、チャンネル桜沖縄の声キャスター我那覇真子さんであった。会場には、直前まで慎吾先生と対談されていたらしいエルドリッジ氏もいらっしゃいました。
上記画像横向きですまん。
まずは、杉田水脈さん。そして主賓、我那覇真子さん、我が慎吾先生の順です。
その危機感たるや、まあ恐ろしいもので、心から沖縄を応援していかねばと、再確認いたしました。
懇親会には青山繫晴氏がたびたび語られる、有本恵子さんのお父様も参加されてました。
紹介されてびっくりしまして、ああここは神戸だ、少しでも知ってもらうために、こうやって参加されてるのかと、感服いたしました。
沖縄の個人的意見としては、糸東流空手初段を持つ身としては、その武術の成長過程というか、如何にして、大陸から伝わったクンフーが、空手として昇華されたのかと言う事です。
摩文仁賢榮先生の著書、「武道空手への招待」に記されている、成立過程は、武器を取り上げられた農民が、クンフーを工夫して、武士の特に薩摩武士の示現流の一の太刀に対抗するため、後の先、先の先を取るために磨き上げた武術であるということです。
ただ、型を教わって、その分解を知るにつれ、これは、何か違うなと、思うようになった。
その型が推定する敵は、暗闇で、多人数で、後ろから襲うものである。
今なら言える。そんな武士は、いないと思う。そして当時沖縄を襲うもう一つ勢力、チャイナ。
日本でありながら琉球国として、日本のもう一つの窓口として、貿易を行っていた沖縄に、略奪を目的に、度々訪れていたのだろうと思う。それに対抗するため、農機具で反撃出来るように工夫された棒術もあるし、沖縄各地に様々な型があるのも、来る海賊の種類だけあったのだろうと推測する事も出来る。沖縄の古来の人々は、圧政に耐えながら、日々鍛錬し、いつ来るか分からない海賊の襲来に備えていたのではないだろうかと言う事。
今の沖縄の人に、もう一度目覚めてほしい。我らも目覚めねばならない。もっと広くもっと深く。




