ある特徴がある。許さないのである。
何が何でも引かないし、こちらが引けばドンドン押してくる。こちらが押してもガンと動かない。
さて、慰安婦である。もう70年以上前の話を未だに引きずるのである。許すことは永遠にない。大統領自ら、1000年恨むのだ。これは、嘘である。朝日のかばう植村記者に聞けば解るだろうが、脅されてる彼は語らないだろうし、それをやつらは許さない。許さないのだ。
私たちは、許しているのだろうか。かの地で戦った兵士を、あの当時の日本人を。
慰安婦というのは、あるシステムの一部である。正しく、兵士を癒し、士気を高め、英気を養う慰安所に勤める女性である。その目的は、当該地域に住まう、現地女性に手を出させない、戦いに荒んだ心を、正気に戻すためのものである。
戦闘に晒されば、当然ながら心は荒む。キンキンに張り詰めた命のやり取りをすれば、本能が目を覚まし、女と見れば子孫を残したくなる。兵士の心理なのだ。このはけ口をちゃんと用意する、けして皇軍は、現地の女性に手を出さない。このシステムの一環なのだ。
そして、このシステムは、ちゃんと機能した。大いに成功し、現地女性は強姦されたことはなく、どっかのライダイハンのようなハーフは、侵攻したどの地でも見られない。
終戦時のベルリンで何が起こったのか、満州で、中華大陸で、朝鮮半島では引き上げる日本人に対して、とんでもない暴力が吹き荒れた。特亜の現在提示する数字は、この投射によるものではないかと思う。引き上げを受け入れた、二日市保養所で何が行われたか、彼女たちはけして口に出すことはないだろう。
対して、進駐軍と朝鮮進駐軍は殺戮と強姦の限りを尽くし、それはわずかの間に8千件以上に上ると、解体された特高の資料にある。これが現実だ。皇軍は強姦は行ってない。
そして、我らは蹂躙されたのだ。よくぞ生き延びて、ここまでにと思う。占領の7年間を思うと、胸が張り裂けそうだ。
どうか、我らだけでも、先人を許してあげよう。私たちの妙に植え付けられた記憶を振り払って、靖国に帰ってきた英霊に、素直に感謝を捧げよう。
私たちを守ってくれた先人は、全く私たちと同じ日本人である。そこら辺に、普通にいる気のいいおじさん、お兄さん達だったのだ。
その彼らが、妻を、娘を、息子を、家族を守るため、弾も尽き、食料も尽きてなお、夜ごとに米兵の首を折って回る、そんな戦闘をしていたのだ。少しでも艦砲が止めばと、沖縄の海に散っていったのだ。
「この世界の片隅に」に描かれた、あの通りの人たちだったのだ。けして、殺戮者でも強姦魔でもない、ただただ家族を守りたい人達だったのだ。私たちは許してあげなければならない。
靖国は、ただ感謝するだけの場所なのだと。ありがとう、戦ってくれて、日本のために、命の捧げてくれてありがとうと、素直に感謝しよう。

